「則天去私」というのは晩年の漱石が作った言葉です。天に則って私を去る、「私」なんてない、というのは「西洋近代的自我」すなわち「私は私であり、その個性は意識にのみある」という考え方に対する、日本人としての反発だったのではないでしょうか。
戸籍制度や漱石の思想から見れば、こうした近代化というのは明治時代に始まったと考えられます。しかし、日本の場合、こうした思い込みがここまで確立されたのは戦後でしょう。戦後は、それまでの日本的な考え方を「封建的」の一言で片付けてしまった。
今では葬式といえば火葬があたりまえですが、高度成長期の前までは土葬も別に非常識な手法ではなかった。これがあっという間に、より死体を遠ざける方向に向かっていった。出来るだけ「死」を日常生活から離していった。考えないようになった。
ほぼ同じ時期にトイレでも同じようなことが起きた。つまり水洗便所の普及です。あれは人間が自然のものとして出すものをなるべく見えないように、感じないようにしたものです。(中略)
同様に戦後消えていったものはたくさんあります。お母さんが電車の中でお乳を子供に与える姿も見なくなって久しいように思います。
肉体労働者がフンドシ一丁で働かなくなったのはもっと前からのような気がします。(中略)
このへんのことには皆、共通の感覚があるのがおわかりでしょうか。身体に関することが、どんどん消されていったのです。
これは都市化とともに起こってきたことです。それも暗黙のうちに起こることです。世界中どこでも都市化すると法律で決めたわけでも何でもありません。それでもほぼ似たような状態になります。これは意識が同じ方向性もしくは傾向をもっているからです。
都市であるにもかかわらず、異質な存在だったのが古代ギリシャです。ギリシャ人はアテネというあれだけの都市社会を作っておきながら、裸の場所を残していたのですから。彼らにとっては裸が非常に身近だった。
誰もが知っているのがオリンピックです。これはもともとは全裸で行っていた大会です。マラソンだって何だって全裸です。マンガ
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