1現代の日本で、翻訳者の社会的な地位が低い理由のひとつは「独創性」が重視されていることにある。独創性がある仕事は価値が高く、独創性がない仕事は価値が低いとされている。2翻訳は、実態はともかく、世間の認識では独創性がない仕事だとされている。物書きの世界で、一流の翻訳よりも三流の執筆の方が尊敬されるのも、このためだ。
3考えてみれば、これは不思議な話だ。翻訳はたとえば、演奏に似ているともいえるし、演劇に似ているともいえる。音楽なら、作曲家が五線譜に書いた「原作」を、演奏家や歌手が音に「翻訳」して聴衆に届ける。4演劇なら、脚本家が脚本として書いた「原作」を、役者が演技の形で「翻訳」して観客に届ける。原著者が外国語で書いた「原作」を、日本語に「翻訳」して読者に届ける翻訳と、どこが違うのかと思いたくなる。5流行歌の世界なら、誰がうたったのかは誰も知っている曲でも、誰が作曲したのかは知られていないことが少なくない。脚本家はどちらかといえば裏方で、俳優の方が脚光を浴びる。6これに対して翻訳では、原著者には独創性があるが、翻訳者には独創性がないとされる。
もちろん、翻訳とは解釈であり、解釈である以上、おなじ原作を十人が訳せば十通りの訳ができる。7だから、演奏家や歌手が独創的でありうるように、翻訳者は独創的でありうる。この点には、翻訳者の立場からは疑問の余地はない。しかし、独創性を崇める風潮は一種の病気のようなものだ。8翻訳を職業とする者がこの風潮にひれ伏す理由はない。また、独創性を競ったところで、原著と比較されれば翻訳にはどうみても勝ち目はない。翻訳にも独創的な面がないわけではないことを認めさせても、意味があるとは思えない。
9独創性がもてはやされる世の中で軽視されがちな翻訳を職業とする者は、独創性とは何なのか、じっくりと考えておかなければならない。一般には、独創性とは、「他人の真似をするのではなく、
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