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 一八九九年、新渡戸にとべ稲造いなぞうが英文をもって著わした『武士道』は、日清戦争後の新興日本に対して興味をもち出していた欧米おうべい各国民に向かって、日本の道徳体系を解明したものとしてすこぶる好評を博した。
 それはそれなりに功績はあったにちがいないが、史実的に見ればほとんどむちゃくちゃともいうべき乱雑さで「寺子屋」や「千代はぎ」まで引用しているのでは、とうてい、学問的価値のある述作とは認められない。しかし新渡戸にとべの著書は、明治以後武士道復活が叫ばさけ れるごとに、かならず持ち出されるものであるから、一応その内容を瞥見べっけんしよう。
 新渡戸にとべは、武士道とは武士のかならず実践じっせんすべき倫理りんり綱領こうりょうであるとし、その内容として、正義、勇気、仁愛、礼儀れいぎ、至誠、名誉めいよ、忠義、克己こっきなどをあげ、特に忠の観念を「封建ほうけん諸道徳を結んでの均整美あるアーチと為しな た要石である」と述べている。
 江戸えど時代に完成された武士階級の道徳綱領こうりょうとしては、ほぼ正しいであろう。もちろんこれは武士はまさに「かくあるべきもの」という規範きはんであって、現実に「こうである」という意味でないことは当然である。大部分の武士はこれらの道徳律に反した存在であり、ただ表面的にこれに従っているかのように見せていたにすぎない。だからこそ、くり返し、これらの道徳律を「武士道」として教えなければならなかったのである。
 ――けしからん、そんなばかなことがあるか、と、いくつかの例をあげて怒りおこ だす人もいるだろうが、それらの例は明らかに、それが当時、珍しいめずら  ことであったから称賛しょうさんされ、喧伝けんでんされたのであって、決して武士一般いっぱんがそうであったということにはならない。
 それでは、単にそれに向かって努力すべき道徳指標として考えた場合、武士道はどのような特色を持っているのであろうか。
 正義も、勇気も、仁愛も、礼儀れいぎも、至誠も、名誉めいよも、克己こっきも、いずれも武士にのみ特有の倫理りんりではないはずである。すべて規律ある社会人として生活する以上、すべての人間が当然これらの道徳律を目標とすべきであろう。それが武士道として、とくに武士階級に
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強く要求されたのは、武士が封建ほうけん社会における指導的階級とされ、農工商にはんたるべきものとされていたからにちがいないが、もっとも肝要かんような点は、忠義という武士に特有の観念が、これらの道徳の要石としてすえられていたからだ。忠義の一点を除けば、他の諸点は、欧米おうべい紳士しんし道についてさえ、ほとんど一致いっちするといってよい。
 したがって武士道の根底をなす「忠」という観念を究明することなくしては武士道の本質を把握はあくすることはできないであろう。
 ところが、江戸えど時代における忠義の観念ぐらい奇妙きみょうなものはない。「忠」はいうまでもなく、おのれの主君に対する服従および忠誠である。それも絶対的な服従であり、必要とあれば生命をささげて奉仕ほうしすることである。
 そしてその主君たるものは、知謀ちぼう、才幹、力量においてすぐれているのでもなく、人間的にすぐれているわけでもない。ただ主家に生まれたがゆえにその地位を世襲せしゅうしているにすぎない。大部分は愚劣ぐれつな存在だといってよい。
 こんな主君に対して、忠臣は二君に仕えずといい、君君たらずとも臣臣たりというような戒律かいりつを守らねばならないとされたのだ。

(南条範夫のりおの文章による)
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