1漱石は、イギリスでの暮らしの経験の中で日本とは違った個人のあり方を目撃してきた。このことは当時海外で暮らした者にとっては大きな衝撃であっただろう。個人と社会の関係に目を開かされたのである。2漱石は、多くの留学経験者がそうだったように、わが国には個人が生まれていないと慨嘆してすます程度の人間ではなかった。彼は日本の社会と個人のあり方について真剣に考えたと思われる。特に彼にとって問題であった親族、つまり家族の問題との関わりの中で、個人と社会の問題に関わらざるをえなかった。
3しかし、その際に、西欧流の社会という概念をわが国にそのまま仮定し、それに対して日本の個人を対比させたところに彼の問題があった。わが国には、個人が社会に対する以前にそれぞれの世間があったのであるが、この世間は、彼には社会の未成熟なもの、すなわち同一線上で語りうるもの、としてしか見えなかったのである。4ところがこの頃には世間という概念は現実にはっきりとした輪郭をもっていた。しかし、それにもかかわらず、漱石は社会と世間の区別をなしえなかったのである。
漱石が、このような問題意識に立って諸作品を書いていったとして、その彼の姿勢を支えていたものは何だったのだろうか。5一つ一つの作品を見れば出来不出来はあるし、社会の見方も到底鋭いとはいえないが、彼の作品には、当時から現在までのわが国が抱えてきた、あるいは引きずってきた重要な問題が示されている。何度もいうように、それは個人と社会の関係の問題である。6そこに親族の問題や男女の関係が絡んでくることはいうまでもない。漱石はそれらの問題に対して作品の中では世間や社会に背を向けた立場を選んでいる。彼の小説の主人公はほとんど社会や世間の中で主要な地位を得ていない人たちである。7現実には、漱石の家に集まった人々の中には後に日本の知的世界を背負ってゆくことになる多くの人物がいたが、作品の中ではそういう構図にはなっていない。
明治以降の日本の社会の中で、世間や社会にしかるべき地位を得ている人の世間や社会を見る目ははっきりしていた。8そのような
|