1ヨーロッパのコトバでは、いずれも、「風景」を意味するコトバは「土地」「地域」を意味するコトバから第二次的に出来てきたわけで、ドイツ語では、Landは土地・田舎・地方・国土を意味していまして、それから出来たラントシャフト(Landschaft)という語は、地方行政区域のこと、つまり州とか地方県とかを意味します。2それがどうして、そのままに同時に「風景」を意味するようになったのか。まことに不思議なこととも言うべきです。とにかくこのように、風景の場所性といいますか、風土性といいますか、地域に根ざすものを色濃く反映したものになっているわけです。
3そして、考えてみれば当然のことであるわけですけれども、「土地」すなわち、それぞれの個性的な「場所」を離れて風景は存在しえない。土地の地形、風物その他一切のもの、川とか森とか、山とか丘とか平野とか、雲とか、そういう一切のものの全体がつくりだしている姿・形の場所的特徴、これが風景であるわけでしょう。4ですから西洋の言語において風景概念が、「地域・地方・土地」がそのまま「風景」となっている。すなわち「場所」としてのラントシャフトとして成立している。このことは考えてみますと、誠に自然でもあり、風景の本筋をいくものだ、とも言えましょう。
5そして、このような西洋語の風景の意味形成の方向性、特徴を、さきほど述べましたような、日本語における「風景」概念の含意のもっている方向性、特徴と比較してみますと、大変興味深いこと、そればかりか大変重要な一つの点が浮かび上がってまいります。6といいますのは、日本語の風景概念の含意の方向性やその特徴が「風景」にしても「景観」にしても主として主観性を示している。あるいは主情性に溢れているのに対しまして、西洋語のそれは、対象性、客観性そして場所性を示している、ということが言えると思うからです。7日本のばあいには、対象についての主観的な感じ方、感情性、自分中心の好みや感じ方の方面が主として表現されているのに、西洋のばあいには主我性、主観性から一応自由に、外界にある土地について、その地理的空間性、風土生活環境の場所性(トポス性)と形状性(ゲシュタルト)、それらの特徴が「風景」だと認識されている、ということです。
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