1いつの時代でも、大人は子どもに対して、常に教育的関係を取り結んできている。先行世代が獲得した生活の技術を、後続世代に伝えることを怠るなら、その種族は自然や他種族との厳しい戦いを戦い抜くことが出来ないからである。2動物を狩り、魚介類を漁り、作物を育てるなど、すべて与えられた環境のなかでよく生き抜くための知恵であり、そのための技術に他ならない。3子どもたちは、大人とともにそれらの営みに参加することを通じて、それぞれの知識と技術を身につけ、成長とともにそれらに習熟して、生存に事欠かぬだけの知識・技術の持ち主であると認められたとき、一人前の徴を付与されるのが常であった。
4したがって、教育の成果とは、一人前になれるか否かで決まる。仮にそれぞれの技に優劣があろうとも、その序列化にまして「一人前としての自立権の獲得」にこそ重きがおかれた。子どもたちは、自身の属する種の一員として生き抜くために、要求される技のあれこれを最低限度は獲得せねばならない。5それが、やすやすと取得された巧みな技であろうとも、また、ようやく身につけられた拙い技術であったにせよ、最低基準を満たしてしまえばそれでよい。つまりは、一種の資格試験であり、その最低ラインに到達するか否かは本人の努力次第ということになる。
6たとえば、一人前の徴として、単独で一定期間内に、ある広さの畑を耕すという課題が与えられているとする。その場合、達者な農作業の腕を発揮して短時間で成し遂げようとも、あるいは、夜を徹して働いてやっとぎりぎりに期限に間に合ったにせよ、課題が達成されていれば同等に扱われて、一人前の資格を与えてもらえる。7したがって、他者と比較しての技の巧拙や敏速さは、とりたてて問題とされず、結果として、教える側の大人の、教授者としての巧拙も、さほど問題とはなり得なかったのである。
8しかし、文字文化の興隆によって「教師」という社会的身分が用意されると、文字を獲得した大人が単に既得の技を伝えるだけ
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