a 長文 9.4週 ni
「ただいま」
「ゆたか、ちょっときなさい」
 お帰りの返事もなく、呼びつけよ   たお父さんの声は、いつもより強かった。
「お前か、ねこをひろってきたのは」
 居間いまにはいるなり、耳につきつけられた言葉に足がすくんだ。
「カラスが狙っねら ていたから……。食べられちゃうから……」
「今から、もどしてきなさい。元のところへ……」
「……」
 いやだと思った。それでも口にはだせなかった。
「お父さんは、ねこの毛アレルギーなの。子供こどものころ、ぜんそくをわずらったことがあるの、それ、ねこの毛が原因げんいんかもしれないんだって」
「友だちで、飼っか てくれる人さがすから……」
「いなかったらどうするの」
 そう言った、お母さんのわきで、お父さんがこっちを見ていた。にらまれているようで、目をあげられなかった。
「それまで、納屋なや飼うか から、自分で生きていかれるようになったら、のらねこにするから」
「聞き分けのないやつだなあ、のらねこ増やしふ  てどうするんだ。のらねこのせいで迷惑めいわくこうむっている人間のことは、どうなるんだ」
「……」
「とにかく、うちじゃ飼えか ないから、元のところにもどしてきなさい。お前が悪いんじゃない、最初にすてた人間が悪いんだ。うちで育てて、のらねこ増やしふ  たら、うちが悪者にされる。分かるな……」
「……」
 もう口ごたえはできなかった。
「今からいってきなさい」
「だれか、ねこの好きな人がひろってくれるかもしれないでしょ」
 そう付け加えたお母さんの言葉は、声だけやさしかった。ゆたかは、言葉をうしなったままに立ち上がった。
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「待ちなさい。これミルクとお皿。ひろってくれる人があらわれるまでに、死んじゃうと困るこま から……」
 お母さんが差しだした、牛乳パックぎゅうにゅう   とプラスチックの皿を受け取り、ゆたかは納屋なやに歩いた。歩きながら、こうなることは、初めから分かっていたような気がした。
 納屋なやに入ると、その気配を感じたのか、子猫こねこたちが鳴きだした。納屋なやの電灯をつけると、けんめいに伸び上がっの あ  て、愛を求める子猫こねこたちの姿すがたがあった。たった二つの、こんな小さな命でさえ、まもってやることのできない自分のことが、みじめでならなかった。大きくなって、自分で働きだしたら、ぜったい、お父さんの言うことも、お母さんの言うことも聞かない。そう思いながら、子猫こねこの入った箱にふたをした。子猫こねこたちが、キーキー鳴きながら、助けてよと、うったえかけるように箱の中を動きまわった。
 公園から見える入り江い えに街灯の光がゆれている。古本屋のおじいさんの家に、明かりの気配はなく、廃屋はいおくが、自分のしでかしたつみのきずあとのようにたたずんでいた。
 ゆたかは、指にミルクをつけて子猫こねこたちの口にもっていき、立ち去れない思いのままに時間を過ごしす  ていた。子猫こねこは、ミルクのついた指にしゃぶりついて、けんめいに吸い込もす こ うとする。そのざらついたした感触かんしょくが、指先に心地よい。
中略ちゅうりゃく
 生きようとしている子猫こねこたちを見つめているうちに、ゆたかは、どうしても助けてやりたくなった。ここに放っておけば、明日の朝にはカラスがくるだろうと思った。頭の中では、子猫こねこたちをかくしておける安全な場所をさがしまわっていた。自分の家で、見つからない場所は、もうなかった。あそこ、ここと思いをどんなにめぐらせても、人の目のないところは思い当たらなかった。

笹山ささやま久三きゅうぞう「ゆたかは鳥になりたかった」)
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