a 長文 8.2週 ni
 花の絵を描きえが 始める時、心は画用紙のように真白でありたいと思っている。同じ名前がついている花でもよく見ると、一つ一つが人間の顔が違うちが ように、それぞれの表情ひょうじょうを持っているからである。また同じ花でも、朝と昼ではほんのわずか色が変わっている場合が多い。
 いくら見なれた花でも「この花はこういう形をしているんだ」などと先入観をもって描きえが 始めると、花にソッポを向かれてしまうことがある。花屋さんでは、開きすぎたものは売り物にならないようだけれど、開きすぎて雌蕊めしべ雄蕊おしべがとび出したものも、時にはハッとするくらい美しい表情ひょうじょうを見せてくれることがある。花びらが一、二まい落ちてしまったのも、虫が食っているのもいいなあと思う。咲きさ 終わって花びらが茶色くなってしまったのも……、それは決して死んだ花ではなく一生懸命いっしょうけんめい生きて、いま実を結び始めた最もすばらしい時期を迎えむか ているのではないだろうか。
 風で折れてぶらさがっているのもあれば、病気か何かでゆがんで咲いさ ているのもある。日向ひなた勢いいきお よく咲いさ ているのもあるが、根元の方では雨の日に土のはねかえりを受けて、うすぎたなくなったのもある。そういうのを見ていると、人間の社会と同じだなあと思ったりする。頭の良いのもいれば、悪いのもいる。美しい人も、そうでない人も、病気の人も、健康な人も……、いろいろな人がいる。
 しかし、わたし自身、「あいつは、ああいうやつなんだ」とほんのわずかしか知らないうちに決めつけてしまうことが、なんと多いのだろう。花の色が一日にして変化するのだから、まして心を持っている人を見るとき、自分のわずかなはかりで決めつけてしまうのなんて全く間違っまちが ていると思う。
 いまわたしの前には、みごとなきく大輪たいりん咲いさ ている。きく比較的ひかくてき長い期間咲いさ ている花だけれど、それでも人にその花をほめられている時期はほんとうにわずかである。花の下にある葉の一つ一つを、さらにその下にある土の中の根の美しさを、花びらの中に描けるえが  ようになりたいと思っている。
(『風の旅』星野富弘とみひろちょ
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