1花の絵を描き始める時、心は画用紙のように真白でありたいと思っている。同じ名前がついている花でもよく見ると、一つ一つが人間の顔が違うように、それぞれの表情を持っているからである。2また同じ花でも、朝と昼ではほんのわずか色が変わっている場合が多い。
いくら見なれた花でも「この花はこういう形をしているんだ」などと先入観をもって描き始めると、花にソッポを向かれてしまうことがある。3花屋さんでは、開きすぎたものは売り物にならないようだけれど、開きすぎて雌蕊や雄蕊がとび出したものも、時にはハッとするくらい美しい表情を見せてくれることがある。4花びらが一、二枚落ちてしまったのも、虫が食っているのもいいなあと思う。咲き終わって花びらが茶色くなってしまったのも……、それは決して死んだ花ではなく一生懸命生きて、いま実を結び始めた最もすばらしい時期を迎えているのではないだろうか。
5風で折れてぶらさがっているのもあれば、病気か何かでゆがんで咲いているのもある。日向で勢いよく咲いているのもあるが、根元の方では雨の日に土のはねかえりを受けて、うすぎたなくなったのもある。そういうのを見ていると、人間の社会と同じだなあと思ったりする。6頭の良いのもいれば、悪いのもいる。美しい人も、そうでない人も、病気の人も、健康な人も……、いろいろな人がいる。
しかし、私自身、「あいつは、ああいうやつなんだ」とほんのわずかしか知らないうちに決めつけてしまうことが、なんと多いのだろう。7花の色が一日にして変化するのだから、まして心を持っている人を見るとき、自分のわずかな秤で決めつけてしまうのなんて全く間違っていると思う。
いま私の前には、みごとな菊の大輪が咲いている。8菊は比較的長い期間咲いている花だけれど、それでも人にその花をほめられている時期はほんとうにわずかである。9花の下にある葉の一つ一つを、さらにその下にある土の中の根の美しさを、花びらの中に描けるようになりたいと思っている。0
(『風の旅』星野富弘著)
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