a 長文 2.4週 ne
 「飽和ほうわ化市場」という言葉がある。いろいろな商品の普及ふきゅうりつがもう限界げんかいのところまできている消費市場をあらわす言葉だ。たいていのモノはひととおり行きわたった、という状態じょうたいである。
 飽和ほうわ化市場の特徴とくちょうは、いままでもっていた製品せいひんから新しいものに買いかえていく需要じゅようは多いが、市場全体が成長していく力はもう限界げんかいのところまできている、という点だ。
 そのため、売り手側としても、いままでと同じような売り方では商品が売れない。そこで、それぞれ独自どくじの商品を開発したり、新しい売り方を考えたり、これまでとはちがった分野へ進出したりと、あらゆる手を試みる。ここまでに紹介しょうかいした販売はんばい方法の工夫だとか、競合商品にはない独自どくじ機能きのうやデザインの開発などといったことも、こうした市場があふれている。
 たとえばモノ。すでに述べの たように、ヘッドホン・ステレオ一つ取りあげても、似かよっに   た商品がたくさんのメーカーから発売されている。たくさんの商品のなかから、きみは一つの商品を選んで購入こうにゅうするわけだ。そのためにカタログを取りよせたり、お店の人の話を聞いたりして情報じょうほうを集め、比較ひかくした上で決める。
 つまり、きみの前には、とてもたくさんのメニューがあり、そこからある一つを選択せんたくするというわけだ。
 サービスという商品を購入こうにゅうする場合も同じだ。
 外食の代表といえるファースト・フード。あるチェーン店で新しいハンバーガーが登場したと思ったら、すぐに別のチェーン店にもたようなメニューがつけ加えられる。もちろん、「一味ちがった」商品としてだ。
 ここでもきみは、さまざまなお店のさまざまなメニューのなかから一つのサービスを購入こうにゅうするための選択せんたくをすることになる。
 新しい商品やサービスが市場にでるまでには、売り手側の「商品差別化戦略せんりゃく」がおこなわれている。消費者側の情報じょうほうを得るための調査ちょうさ、その情報じょうほうをすぐに利用できるように蓄積ちくせきしたデータベースの作成、テレビやイベントをとおしての宣伝せんでん・広告・商品を効率こうりつ
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く売るための仕掛けしか など、売り手側の努力はこれまでみてきたとおりだ。
 だから、きみは、売り手側の商品差別化戦略せんりゃくという大きな「仕掛けしか 」をかいくぐって、たくさんのメニューから一つを決め、選択せんたくするのである。これは、とてもたいへんなことなのだ。
 たしかにメニューはたくさんある。
 だが、それは、メニューがいまほど多くなかったときにくらべて、よりよい選択せんたくができるということなのだろうか?
 ちがいをうたって登場した商品は、すぐにた商品が登場することで、ちがいの部分がなくなってしまう。きみの「ステイタス」にふさわしいはずの独自どくじの商品が、すぐにその独自どくじせいを失ってしまう。イタチごっこみたいなもので、ちがいはますます細分化し、たいした意味をもたなくなってくる。
 たいした意味のない「ちがい」を選ぶためにたくさんの商品が用意されているのが、はたしてほんとうに豊かゆた なことなのだろうか。わたしたちは、そんな「幸せ」を求めてきたのだろうか。何度でも自問してみる必要がありそうだ。
 おびただしい商品にかこまれて毎日暮らしく  ているわたしたち。わたしたちが生活すること=消費することである。住宅じゅうたく、家具、食品、衣服、電気製品せいひん、新聞、書籍しょせき、日用雑貨ざっかといったモノから、電気、ガス、交通手段しゅだんをはじめとするサービスざいまで、日々消費しつづけているのだ。
 そのわたしたちの多様な消費が、ふたたび多様な生産を促すうなが 
 そして新しく生産された生産物が、消費者であるわたしたちに、また新たな欲望よくぼうをひきおこす。
 こうして生産と消費が循環じゅんかんしながらふくらんでいくのである。しかも、売り手と買い手のどちらも、先がみえていないときているのだ。
 こうした生産と消費のくりかえしのなかで、地球資源しげん減少げんしょうをつづけ、生産にともなう排出はいしゅつ物や消費生活からでる廃棄はいき物などによって、環境かんきょう汚染おせんがすすんでいる。それも、地球的な規模きぼでおこ
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長文 2.4週 neのつづき
っているのである。
 気をつけなくてはいけないのは、地球環境かんきょう汚染おせんしているのは、生産をしている企業きぎょう側だけではない、ということだ。汚染おせん責任せきにんがあるのは、買い手であるわたしたちも同じだ。生産をささえている消費者側の責任せきにんも大きい。
 つまり、わたしたちは他人とのちがいを示すしめ ために地球資源しげんをつかい、環境かんきょう汚染おせん物質ぶっしつ排出はいしゅつしつづけている可能かのうせいをもっているわけだ。もしそうだとしたら、わたしたちは、自分たちの消費のあり方そのものを問いなおさなくてはいけない。
 たとえば、わたしたち日本人がふだん食べているエビ。
 日本人のエビ消費は、この三十年間に六倍以上になり、売り上げは一兆円をこえたそうだ。世界最大のエビ消費国だ。そのほとんどは東南アジアからの輸入ゆにゅうによっている。エビの稚魚ちぎょは、東南アジア各地にひろがる広大なマングローブの沼地ぬまちで育っており、そのエビを捕獲ほかくするために大型船もはいっている。そのためエビ資源しげんはしだいに少なくなり、マングローブの沼地ぬまち荒らさあ  れているのだそうだ。
 日本人が直接ちょくせつ荒らしあ  まわっていないにしても、わたしたちのエビ消費が、結果としてマングローブを枯らすか  ことになっているのは否定ひていできない。
 これは一つの例であって、わたしたちの生活が、このように間接かんせつ的に環境かんきょう破壊はかいしていることは、じつに多い。わたしたちがおびただしい消費を重ねることが、考えてもみないようなところに悪影響あくえいきょうをあたえ、傷つけるきず   ことになっているわけだ。
 そうした直接ちょくせつみえない他人や世界へ、どこまで想像そうぞう力をはたらかせることができるかが、これからますます問われることになるだろう。もちろんこれは大人だけの問題としてでなく、きみたち一人一人がこれから考えなければならない問題だと思う。

(児玉ひろし「あなたは買わされている」)
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