a 長文 2.2週 ne
 チョウチンアンコウには、上唇うわくちびるのすぐ上に背びれせ  から変わったイリシウムと呼ばよ れるただ一本のアンテナがある。
 イリシウムの先端せんたんには、エスカという丸いふくらみがあり、この部分が発光するのでチョウチンアンコウの名がある。世界的に有名な深海魚である。チョウチンアンコウの最初の記録は一八三七年であるから、もう一五五年も昔から大勢おおぜいの学者の興味きょうみを引いていた。しかし生きたチョウチンアンコウがどのようにして光るのかは、長らくだれも知らなかった。一九六七年、日本の水族館においてそれが確かめたし  られた。
 その年の二月二〇日、鎌倉かまくらの海岸の波打ち際なみう ぎわで一ぴきのチョウチンアンコウが海岸に遊びに来ていた一般いっぱんの人に拾われた。これは珍しいめずら  魚だということで、そのチョウチンアンコウは、段ボールだん   箱に入れられて、八キロ離れはな 江ノ島え しま水族館に運ばれ、海水に戻しもど たところ元気を取り戻しと もど 、八日間生きた。わが国での、そして、たぶん世界でのチョウチンアンコウの最長生存せいぞん記録である。
 連絡れんらくを受けて逗子ずし自宅じたくからかけつけた横須賀よこすか市自然博物館の羽根田博士は、チョウチンアンコウが水槽すいそうの中で発光する様子をくわしく観察されて学術がくじゅつ報告ほうこくを書かれ、後日、わたしにもそのいきさつを直接ちょくせつ話して下さった。温厚おんこうな博士が、その時の思い出話をして下さっているうちに、だんだん興奮こうふんされるのを見てびっくりした。そんなにもたいへんなことだったのだと、さい確認かくにんした。
 生きているチョウチンアンコウのイリシウムの先端せんたんには、小さなザクロの実のように丸くふくらんだエスカがあり、乳白色にゅうはくしょく透明とうめいの上に銀色と淡紅色(たんこうしょくのリングがあって、暗いところで青白く光って見えた。魚をつついて刺激しげきすると、イリシウムを立て、エスカから明るく光る発光えきを前方に向けて噴出ふんしゅつした。エスカの左右にある肉質にくしつ突起とっき先端せんたん真珠しんじゅのような白い小球が光を放ち、エスカから垂れ下がるた さ  黒くて細長いフィラメントの先端せんたんにも小さな発光器
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があって、魚がイリシウムを振りふ 動かすと、これもキラキラと美しく光った。
 「この生きたチョウチンアンコウは、今までのいろいろななぞをといてくれた。このような機会はおそらくもうないであろう」と、横須賀よこすか市自然博物館の報告ほうこく書き添えか そ られた羽根田博士にとって、あの日は一生で一番幸せな日だったことであろう。
 もっとも、深海魚の発光が水族館で観察された例は、これが初めてではない。
 ずっとさかのぼって、イタリアのナポリ水族館では、一八九九年に生きたダルマザメの発光がガラス越しご に観察されている。このサメは長くは生存せいぞんしなかったらしいが、これがたぶん、生きた発光魚を水族館で観察した、最古の観察記録ではないだろうか。ナポリ水族館は、一八七四年にオープンした海洋研究所の附属ふぞく水族館で、サンタルチアの海岸に面して建ち、とくにわが国の大学臨海りんかい実験所のモデルにされてきた水族館である。
 また駿河湾するがわんに話を戻すもど と、ここにはツラナガコビトザメという世界一小さなサメがいる。成長のいい個体こたいでも二五センチ止まり、ふつうは一二、三センチの小さなサメで、頭が大きく三等身なので、ツラナガの名がある。体の下半分一面に小さな発光器が散在さんざいし、尾びれお  と腹 ふくびれの一部に白い部分があって、ここがとくに強く光る。羽根田博士はツラナガコビトザメの発光が発光ザメの中で、最も美しく見事であると太鼓判たいこばん押しお ている。
 ツラナガコビトザメは、駿河湾するがわんではサクラエビといっしょに海面近くまで浮上ふじょうし、サクラエビのあみに入る。個体こたい数は多くもないがまれでもない。駿河湾するがわんでとれる深海の発光ザメは、ツラナガコビトザメ以外にも、フジクジラ、カラスザメ、カスミザメと、数多い。サメばかりではない。駿河湾するがわんは発光生物の宝庫ほうこなのだ。発光しない深海生物ならば、その種類はもっと多い。
 ところが、そのことごとくがまだ水族館では飼えか ないでいる。東海大学海洋科学博物館では、一九八九年以来生きた化石といわれるラブカを中心に、駿河湾するがわんの深海魚の飼育しいく挑戦ちょうせんしてきた。しか
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長文 2.2週 neのつづき
し、正直いって、前途ぜんと遼遠りょうえんである。ラブカやギンザメもメンダコも、ようやく一〇日間程度ていどは生かしつづけることはできたが、それは残念ながら飼育しいくしたというよりも生存せいぞんしていたという方がふさわしい。
 深海魚が水族館で飼えか ないのは、それが深海に棲んす でいるという事実よりも、深海に棲んす でいるために皮膚ひふ内臓ないぞう傷つききず  やすい、体がもろくてこわれやすい、環境かんきょうの変化に弱いという理由の方が大きいようだ。水族館では、傷つききず  弱って入ってきた魚の健康を回復かいふくさせることがほとんどできないので、そこが一番弱い。それでも、駿河湾するがわんの海岸に建っている水族館に勤務きんむする一人として、いつかは発光魚を含むふく 深海生物が水族館で生きているのを見たい、見せてあげたいと思う。水温も、比重ひじゅうも、水質すいしつも、明るさも、自在じざいに調節できるようになった現在げんざいの水族館で、未解決みかいけつの課題として挑戦ちょうせんするのにふさわしい相手であろう。
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