a 長文 1.1週 ne
「うーん、どう書こうかなあ」
 わたしにとって、毎年の年賀状ねんがじょう作りは大変なものだ。なぜかというと、ついつい凝りこ すぎてしまうからである。やはり年賀状ねんがじょうは手書き、手作りがいちばんだと思う。父はパソコンで年賀状ねんがじょうを印刷しているが、わたし断固だんことして手作りにこだわっている。一まいまい感謝かんしゃの思いを込めこ ながら、宛名あてなを書く。もちろん、裏面うらめんだってすべてオリジナルの構図こうずを考えて作っていく。
 今年の年賀状ねんがじょうでは、いもばん挑戦ちょうせんしてみた。サツマイモを輪切りにして、彫刻ちょうこく刀で削っけず てハンコにするのだ。かなり大変だったが、干支えとである「」や、「賀正がしょう」という文字を彫っほ た。
 そんなふうに手をかけるので、出来上がった年賀状ねんがじょうを出すのはいつもぎりぎりだ。分厚いぶあつ 年賀状ねんがじょうの束をポストに押し込んお こ で、わたしはようやく、安心してお正月を迎えむか られる。
 しかし、わたし年賀状ねんがじょう作りは、年が明けてもまだ終わらない。毎年必ず、わたしが出さなかった意外な人から年賀状ねんがじょう届くとど からだ。こういう驚きおどろ があることも、新年の楽しみの一つだろう。けれども、もらった年賀状ねんがじょうには返事を書かなければいけない。そうしてわたしは、またまたつくえに向かう羽目になる。
 今年のお正月、そんなときに事件じけんは起きた。
「いもばんがない!」
 わたし叫ぶさけ と、こたつでくつろいでいた家族が、一斉いっせいにこちらを見た。一生懸命いっしょうけんめい作ったいもばんが、いつの間にかなくなっていたのだ。これでは返事を書くことができない。
 家族を無理やり起こして、こたつ布団ぶとんを引きはがしてまで探しさが た。まるで、去年やり忘れわす た大掃除そうじを今ごろやっているかのようなありさまだった。しかし、それでも見つからない。
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 わたしがしょげていると、飼い犬か いぬのユメが足元に寄っよ てきた。慰めなぐさ てくれるのかと感動したが、よく見ると、その口あたりの毛が赤くなっている。わたしはハッとした。
犯人はんにんは、おまえだな!」
 そう。なくなったいもばんは、今はユメのおなかなか。材料がおいもだっただけに、置いておいたものをユメがぺろりと食べてしまったのだ。
「では、おまえをいもばんの代わりに」
 わたしはユメをつかまえると、その肉球に朱肉しゅにくをつけて、返事の年賀状ねんがじょうにペタン、と押しお た。いもばんならぬ「いぬばん」というわけだ。自分のしたことが分かっていないのか、ユメはうれしそうにしっぽを振っふ ていた。
「えーと、干支えとじゃないけどごめんね。」
 戌年いぬどしならよかったのに、とわたしは心の中でつぶやいた。だが、これはこれでかわいらしくて、いいかもしれない。
災いわざわ 転じて福となす」ということわざもある。こだわって作るのもいいが、とっさにひらめくアイデアで対処たいしょすることも大切だ、とわかった気がした。
「うん、これでよし!」
 わたしは笑顔で、ユメと顔を見合わせた。

(言葉の森長文作成委員会 ι)
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