長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
ちょうど、その前の年、僕が六年生の晩秋のことであった。
中学へ入るための予習が、もう毎日つづいていた。暗くなって家へ帰ると、梶棒をおろしたくるまが二台表にあり、玄関の上がり口に車夫がキセルで煙草をのんでいた。
この二、三日、母の容体が面白くないことは知っていたので、くつを脱ぎながら、僕は気になった。着物に着がえ顔を洗って、電気のついた茶の間へ行くと、食事のしたくのしてある食卓のわきに、編み物をしながら、姉は僕を待っていた。僕はおやつをすぐにほおばりながら聞いた。
「ただ今。――お医者さん、きょうは二人?」
「ええ、昨夜からお悪いのよ」
いつもおなかをへらして帰って来るので、姉はすぐにご飯をよそってくれた。
父と三人で食卓を囲むことは、そのころはほとんどなかった。ムシャムシャ食べ出した後に、姉もはしをとりながら、
「節ちゃん、お父さまがね」という。「あさっての遠足ね、この分だとやめてもらうかも知れないッて、そうおっしゃっていたよ」
遠足というのは、六年生だけ一晩泊まりで、修学旅行で日光へ行くことになっていたのだ。
「チェッ」僕は乱暴にそういうと、ちゃわんを姉につき出した。
「節ちゃんには、ほんとにすまないけど、もしものことがあったら。――お母さんとてもお悪いのよ」
「知らない!」
姉は涙ぐんでいる様子であった。それもつらくて、それきりだまりつづけて夕飯をかきこんだ。(中略)
生まれて初めて、級友と一泊旅行に出るということが、少年にとってどんなにみりょくを持っているか! 級の誰彼との約束や計画が、あざやかに浮かんでくる。両の眼に涙がいっぱいあふれてきた。
父の書斎のとびらがなかば開いたまま、廊下へ灯がもれている。(中略)
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