a 長文 5.4週 na
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 南博人ひろと従順じゅうじゅんな子であり、いたずらっ子でもあった。先生に反抗はんこうらしい態度たいどに出たことは一度もなかった。しかしかれは、そのとき、先生が言った最後の言葉に疑問ぎもんを持った。ひとりで山へ入ったならば、自力で頂上ちょうじょうへ出ることは困難こんなんであるということにうそを感じた。札幌さっぽろ郊外こうがいにある藻岩山もいわやまは、かれが生まれた時から馴れな た山だった。道をそれても、上へ上へと登っていけばやがては頂上ちょうじょうへ出られるはずである。それは小学校五年生の理屈りくつであった。
「おい、南どうした」
 列が動き出しても頂上ちょうじょうの方も見詰めみつ たまま立っている南に不審ふしんをいだいてとなりの少年が話しかけた。
「おれは、山の中へ入る。先生に言うなよ、言ったら、げんこつくれてやるぞ」
 南の受持ちの先生のあだなはげんこつ先生である。悪いことをすると、げんこつをくれるからである。南はげんこつ先生の真似まねをして、となりの少年をげんこつでおどかしてやぶの中へ飛びこんだ。やぶの中を頂上ちょうじょうまで登る気はなかった。道をそれたら、頂上ちょうじょうへ出られないという先生のことばが、ほんとうかうそかたしかめたかったし、同時にかれは山の中がどんな構造こうぞうになっているかも知りたかった。かれはクラスで走るのは一番速かったから、五分や十分の道草を食っていても、直ぐ追いつける自信があった。それにげんこつを見せた以上、だれかが先生に告げ口をするということはまず考えられなかった。かれ餓鬼大将がきだいしょうだった。
 かれはやぶへ入った。木が密生みっせいしている間をかいくぐっていくと、木の芽の強い芳香ほうこうかれの鼻をくすぐった。かれ幾度いくどかくしゃみをした。くしゃみが誰かだれ に聞えはしないかと、耳を済ませす  たが、もう少年たちの足音は聞えなかった。
 かれはにっこり笑った。たいへん面白い考えが浮かんう  だからである。少年たちは六十名いた。彼等かれらが先生に引率いんそつされて頂上ちょうじょうに達するまでに、先廻りまわ をして頂上ちょうじょうに行ってやろうという野望を起した
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のである。先廻りまわ をしたつみで、げんこつ先生に一つぐらいげんこつを頂だいちょう  してもかまわないと思った。
 かれは森の中を頂上ちょうじょう目がけて登り出したが、道のないところを登ることがいかに困難こんなんであるかを知ると、かれ自身のやっていることが、かなり冒険ぼうけんであることに気がついた。
 かれはもと来た道へ引き返そうとして、そっちの方へ移動いどうしたが、道らしいものはなく、いよいよ樹木じゅもくの深みにはまりこんでいった。かれはひどくあわてた。かれ幾度いくど叫ぼさけ うとしたが、声は咽喉いんこうで止った。かれなみだをためた。先生のいうとおりだとすれば、さっきかれがたてた理屈りくつがおかしくなる。頂上ちょうじょうは一つだ、登っていけば必ず頂上ちょうじょうに行き当るはずだ。
 かれは気を取り直した。道を探すさが ことはやめて、一途いちず頂上ちょうじょうを目ざして直登ちょくとしていった。必ず頂上ちょうじょうがあると思いこんでいれば、道に迷っまよ たことも、朋輩ほうばいたちと別れたことも、先生に叱らしか れることも、少しも怖くこわ はなかった。
 高い方高い方へ登っていくと、少しずつ明るさが増しま て来ることがかれにとって希望だった。明るさが増しま て来ることは、頂上ちょうじょうに近づいていることだとは分らなかった。やがてかれは道とも踏みふ あとともつかないものに行き当った。そこを登っていくと、ややはっきりした山道に出会い、そこから頂上ちょうじょうまでは楽な登りだった。
 げんこつ先生は真青な顔をして待っていた。

(新田次郎じろう「神々の岸壁がんぺき」)
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長文 5.4週 naのつづき
 樹木じゅもくは生命の危険きけんを感じると早く子孫を残さなければと多くの種子をつける。実際じっさいかきの実やどんぐりが豊作ほうさくになるようにと子どものころ木のみきを思いっきり蹴飛ばしけと  経験けいけんがある。
 戦後せっせと植えたスギも、林業が儲からもう  なくなって手入れがされなくなった。とくに間伐かんばつがされていないスギ林は、スギ同士の過酷かこく生存せいぞん競争でひょろひょろな木となり、ストレスが大きくなっている。こんな環境かんきょうによって、スギの木も生命の危険きけんを感じ、種子をたくさん残そうと雄花おばなをたくさん付け、花粉を大量に撒きま 散らしているということなのではないだろうか。
 九州の熊本くまもとから九州自動車道を南下すると、八代インターチェンジを過ぎす てから道路は山間に分け入っていく。多くのトンネルと急カーブが続き、全長約六キロメートルの肥後ひごトンネルを抜けるぬ  と、九州で有数の林業地である人吉盆地ひとよしぼんちに入る。道路の両側は急峻きゅうしゅんな山地が空を狭めせば 、森林が天に伸びの ている。しかし、近年、その風景に変化が現れあらわ ている。何気なく通る多くの人たちは気付くことはないのかもしれないが、職業しょくぎょうがらわたしにはどうしても気になってしまう。それは、至るいた ところでかなりの面積にわたり森林が伐採ばっさいされていることだ。戦後、せっせと先人たちが植林したスギの林がようやく伐採ばっさいできるまでになって、利用されるようになったという意味では好ましい現象げんしょうだが、問題なのは、伐採ばっさいされた箇所かしょに植林された形跡けいせきがないことだ。
 わたしたち、森林・林業にかかわるものからすれば、「ったら植える」が常識じょうしきである。しかし、今やこのような常識じょうしき常識じょうしきでなくなってきている。それどころか、これら植林放棄ほうき地の状況じょうきょうをみると、森林所有者が森林を土地ごと手放すケースが増えふ ている。これは、森林を買う木材生産業者が、木材価格かかくの下落に伴いともな 採算さいさんせい維持いじするためにより大きな面積の森林を買い入れようとする意
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向があり、これが森林所有者の森林を所有することへの負担ふたん感と相まって、土地ごとの売却ばいきゃく後押しあとお しているようだ。
 日本の文化は森と木の文化であるといわれる。
 森林に恵まれめぐ  た国土で、その資源しげん巧みたく に利用してきたというのは当たり前だが、とくに日本では、森林を形づくる樹木じゅもくの種類が豊富ほうふであることから、じゅ種の違いちが による木材の性質せいしつも様々であり、その違いちが を上手に使い分けてきた。住まいや身の回りの道具に至るいた まで、こんなものにはどの木を使うという知恵ちえは、すべての人がもっていた。お櫃 ひつにコウヤマキ、まな板にイチョウ、つまようじにはクロモジ、下駄げたやたんすはキリ、家の土台はクリなどだ。
 また、木材を無駄むだなく使うということにも意を用いてきた。まさに、日本人は木とともに生き、木によって生活を維持いじし、木の上手な使い方をあみ出してきた民族である。
 しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失われつつある。安価あんか均質きんしつに大量生産できる石油化学製品せいひんなどの代替だいたい品がわたしたちの日常にちじょう氾濫はんらんするようになったからだ。木材にしても、外国からやってくるものが八わり以上を占めるし  ようになっている。このままでは、日本の木の文化は、文化財ぶんかざい美術びじゅつ品などの特殊とくしゅ伝統でんとう文化に残されるだけになるのかもしれない。
 こうなると、国内の木材はますます使われず、価格かかくも下落していくだろう。結果、国内の森林を守ってきた林業も立ち行かなくなる。そして、間伐かんばつなどの手入れもされず森林の放棄ほうき拡大かくだいしていくことになる。
 わたしたちにとってなくてはならない森林が、今、危機ききひんしている。

(矢部三雄みつお恵みめぐ の森 癒しいや の木』(講談社こうだんしゃ+α新書)より)
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