1べつにすてきなものじゃないし、大したものでもない。何でもないものにすぎないが、どんなときにもなくてはかなわぬものとして子どものころからつねに身のまわりに、かならず手のとどくところにあって、とても親しい。2ひとが人生で、そんなにも長く身近に付きあう家具はほかにないといっていいかもしれない。そうではあっても、だれにもとくに大切にされているというのでもない。
くずかごはくずかごだ。いつもそこにあってそこに見えているのに、だれも見ていない。3だれしもの人生のどんな一部を切りとっても日々の光景のどこかしらに、いつでもきまってくずかごが、きっと一つは置かれているはずなのに日々に欠かせぬ家具として重んじられているとはいえない。くずかごのないくらしはかんがえられないが、しかし、くずかごはやっぱりいつでもただのくずかごにしかすぎない。
4あってもなくてもどうでもいいものではないのだ。くずかごは、わたしたちとつねに、日々をともにしている。だが、どうしてだろうか。どうして、くずかごはまるで日のあたらない場所に置かれたまま、いつもあたかも「ないもの」のごとくにしかおもわれないのだろうか。5どんなにすばらしい部屋であっても、くずかごはみすぼらしくてかまわない。そうであってすこしも奇妙におもわれることがないということこそ、むしろ、奇妙なことではないだろうか。くずかごは、どうあれ、もっとも親しい毎日のくらしの仲間なのだ。
6わたしたちはどうかすると、くらしというのは、手に入れるものでつくられるのだとかんがえる。何かを手に入れることがくらしの物差しをつくるので、手に入れたものをどれだけいれられるか、その容積のおおきさがゆたかさの目安なのだ、と。7そう期待して、いつのまにか身のまわりを手に入れたものでいっぱいにしてしまう。くずかごが片すみに追いやられてわすれられるのも、むべなるかな(もっともなことの意)だ。そしてある日突然とんでもないことに気づいて、びっくりする。8そうやって手に入れたものが、日々に欠かせぬ必要なものどころか、そのおおくはどういうわけかすでに、ただのすてるにすてられないものばかりになってしまっている。
9そのときになってはじめて日々のくらしの姿勢をつくるのは、何を手に入れるかではなくて、ほんとうは何を手に入れないかなのだということに、わたしたちは気づくのかもしれない。くらしにめりはりをつけるのは、何が必要かではない。0何が不必要なのかと
|