a 長文 11.2週 mu
 私たちが日常、ことばを使っているときは、普通ふつう表される内容がまずあって、それを持って運ぶ手段としてことばがあるというふうに考えています。私たちの関心はもっぱらこの内容のほうにあるわけで、それを運ぶ仲介ちゅうかい役としてのことばが入っていても、ことばそのものにはあまり注意を払いはら ません。ことばというのはあるようでないようなもの、存在しながら、存在していないような、何か透明とうめいになってしまっているような感じがするのではないでしょうか。
 ところが、「かっぱ」のような詩を読みますと、俄然がぜんことばが、私たちの前にふさがって、それに私たちが頭をぶつけている――そんな印象を持つのではないかと思います。ことばがそこでは不透明ふとうめいになって、私たちの意識が素通りすることを許してくれないわけです。日常あまり意識してないことばそのものの存在ということを、否応なしに意識させられてしまいます。こういう状況じょうきょうは、詩によく出てきます。詩のことばは日常のことばと同じではありません。そのため私たちはそこで一度立ち止まって、考えなくてはいけないということが起こってきます。つまりことばが不透明ふとうめいなものになってしまい、私たちがことばというものを改めて認識することになるのです。
 そういう意味でもう一度「かっぱ」の詩に戻っもど てみましょう。使われている単語はそんなに多くも難しくもありません。「かっぱ」が出て、それから「かっぱらった」が出てきます。たとえばこの「かっぱ」と「かっぱらった」ということばは、日常のことばとして考えている場合は、私たちはこの両方がよく似た形をしたことばであるという意識を持つようなことはないでしょう。ところが、ことばが不透明ふとうめいになって私たちの前に立ち現れますと、「かっぱ」と「かっぱらった」は、形が非常によく似ているという意識を否応なしに持たされます。そうしますと、ことばについての非常に素朴そぼくな感覚として、語形が似ていると語の意味も似ているのではないかというふうな発想が働きはじめます。つまり、「かっぱ」と「かっぱらった」とでは「かっぱ」という所が共通である。そうすると意味のほうでも関係があるのではないか。たとえば、「かっぱ」というのはいたずら好きな生物だから、「かっぱらう」という行為こういも、何かもともと「かっぱ」のするようなことをいうのではなかったのか。もちろん語源的にはそういうことはないでしょうけれ
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

ども、そんな印象をきっと持つでしょう。日常のことば遣いづか ですと、「かっぱ」と「かっぱらう」は私たちの頭の中の全然違うちが 所にしまい込まこ れていて、相互そうごに連想するなどということもないでしょう。しかし二つ並べられてみますと、語形が互いにたが  よく似ている、そうすると語の意味も似ているのではないかと考えたくなるわけです。私の場合ですと、かっぱの口の先の逆みたいな形をしている――そんな類似点を連想します。あるいはまた、かっぱが鳴くとするとらっぱのような音を出すのではないか――そんなことを思ったりもします。(中略)
 私たちの日常の生活では、ことばのきまりというものが習慣的に決まっています。そして、私たちはいちおうきまりの範囲はんい内でことばを使うことで満足していて、それを超えるこ  というようなことは比較的ひかくてきまれです。前に言いました二つのことばの使いかた――経験が先行してそれをことばで表すことと、ことばが新しい経験を生み出すこと――これは「伝達」と「創造」ということでとらえることもできますし、あるいはことばの「実用的」な働きと、ことばの「美的」な働きと言われることもあります。この後者のほうは詩のことばに典型的に見られるということで、ことばの「詩的」な働きという言い方をすることもあります。
 私たちのことばについての認識は、ふつうその実用的な働きのほうに大変かたよっていて、もう一つの詩的な働きのほうは忘れられがちです。それは、この詩的な働きがよく現れるのは、詩のことばであるとか、子どものことばとかどちらかといいますと、ことばの「中心」でない部分だからでしょう。そういうことばの詩的な働きというものが日常のことばにおいてよりも重要な役割を果たすという意味で、子どものことばと詩のことばとは似ているということができます。(中略)
 普通ふつうの人が、日常的な経験を日常的なことばで表現して満足しているのに対して、「詩人」と呼ばれるような人たちは、日常的な経験を超えるこ  経験をもつでしょう。そして、それを表そうとすると、もはや日常のことばの使い方では不十分なはずです。そこで、どうしても、日常のことばのわく超えるこ  ということが必要になってくるのです。
 参考:「かっぱ」の詩(谷川俊太郎しゅんたろう作) かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた/かっぱなっぱかった/かっぱなっぱいっぱかった/かってきってくった
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534