a 長文 8.4週 mi
 その少年はまるまると太っていて、いつも腕白わんぱくであった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
 といた。小さいころから「青びょうたん」とあだ名をつけられていた痩せっぽちや    の私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の尼崎あまがさき引っ越しひ こ てきて一カ月ばかりたったころ、私が小学校五年生のときである。
寝るね 前に、たこ焼きを食べるんや」
 少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その稼ぎかせ でたこ焼きを買うのだと、だれにも内緒ないしょにしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を稼ぎかせ 出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
ぼくも夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
 私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん儲けもう て、お父ちゃんにもおごってや」
 と許してくれた。
 当時、阪神はんしん電車の尼崎あまがさき駅周辺には、小さい屋台や小料理店がのきを並べ、ならず者たちが凍てつくい   露地ろじのあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を小脇こわきに、飲み屋のノレンをくぐっていった。
 だれも夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして酔っぱらいよ    突き飛ばさつ と  れたり、しり蹴らけ れたりもした。寒風の吹きすさぶふ    大通りから、はだか電球のともる薄暗いうすぐら 露地ろじもぐり込み   こ 一軒いっけん一軒いっけん新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、夜更けよふ まで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。
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「きょうは調子が悪いなァ……」
 と少年が立ち停まった。
「……ぼく、もう帰らんと怒らおこ れる」
 その言葉で、少年は私から新聞の束を受け取り、
ぼくはもうちょっとねばってみるさかい」
と言い残して、再び暗い露地ろじへと消えて行った。私は体中が凍えこご ていた。夜道を震えふる ながら帰った。家に入ろうとしたとき、誰かだれ の歩いて来る音が聞こえた。父であった。父は「おかえり」と言って私の耳をてのひらで包んでくれた。その夜、銭湯からの帰り道、父がさとすように呟いつぶや た。
「おまえのたこ焼きと、あの子のたこ焼きとは、味が違うちが んやでェ」
 それからちょうど十年後に父は死んだ。父の死後、何かの折に、夕刊を売り歩いた一夜の思い出を母に語った。そしてそのとき母から、あの夜、尼崎あまがさき歓楽街かんらくがいで新聞を売り歩く私のあとを、父が最初から最後までずっとけていてくれたことを聞いたのであった。
 いまでもときおり、場末の歓楽街かんらくがいを歩いているときなど、露地ろじのくらがりからまるまると太ったあの少年が、夕刊の束をかかえて走り出てくる幻想げんそうにかられる。そんなとき、オーバーで身を包んだ父が、物陰ものかげからじっと私を見ているような気もするのである。

(宮本てる『夕刊とたこ焼』)
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