その少年はまるまると太っていて、いつも腕白であった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
と訊いた。小さい頃から「青びょうたん」とあだ名をつけられていた痩せっぽちの私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の尼崎に引っ越してきて一カ月ばかりたった頃、私が小学校五年生のときである。
「寝る前に、たこ焼きを食べるんや」
少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その稼ぎでたこ焼きを買うのだと、誰にも内緒にしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を稼ぎ出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
「僕も夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん儲けて、お父ちゃんにもおごってや」
と許してくれた。
当時、阪神電車の尼崎駅周辺には、小さい屋台や小料理店が軒を並べ、ならず者たちが凍てつく露地のあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を小脇に、飲み屋のノレンをくぐっていった。
誰も夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして酔っぱらいに突き飛ばされたり、尻を蹴られたりもした。寒風の吹きすさぶ大通りから、裸電球のともる薄暗い露地にもぐり込み、一軒一軒新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、夜更けまで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。
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