a 長文 8.2週 mi
 吉川きつかわのパスは蹴っけ た者の意思がのり移ってでもいるかのように、全力疾走しっそう中の宗介そうすけの右足に吸い付いてきた。宗介そうすけはただそのボールをエンドラインぎりぎりまで持ち込んも こ でセンターリングを上げればよかった。反対方向から走り込んはし こ できたフォワードの連中がへディングなりダイレクトなりでシュートを決めてくれるのだった。
 (中略)
 秋の都大会では決勝まで進み、延長戦でも決着がつかなかったのでペナルティーキック合戦にまでもつれこみ、結局準優勝に甘んじあま  た。大会中の目立った選手がベストイレブンに選ばれたのだが、やはり優勝チームから選出される者が多く、技術的には優勝チームの同じポジションの選手を上回っていた吉川きつかわは選にもれた。
 冬に例年にない走り込みはし こ をして、今年こそは優勝を、と団結を強めていたのだが、三年の夏休みを前にした暑い午後、宗介そうすけはコーチの浅野に退部を申し出た。前日、夏休みの練習計画が浅野から発表されたのだが、毎日朝九時から夕方六時まで練習メニューが決められ、休日は一日もなかった。吉川きつかわという天才的な選手を得て、都大会優勝は今年を逃しのが ては当分無理だ、と読んだ浅野の決意の表われた計画表であった。
 宗介そうすけの学業成績は、もう少し頑張れがんば ば進学校といわれる都立高校に手が届く程度のものだった。ドリブルしながらフェイントをかけるとき、どうにもならない生来せいらいの体のかたさをよく知っていたので、サッカープレイヤーとして一人前になれないことは分かっていた。夏の練習に参加すれば受験勉強ができなくなる。
「退部します。お世話になりました」
 すでに練習が始まっている校庭の花壇かだんの前で、トレーニングウエア姿の浅野に向かって宗介そうすけは頭を下げた。
冗談じょうだんはよせ」
 浅野は首にかけたホイッスルをタバコでもすうように口にくわえた。よくに焼けた狭いせま 額のしわの中から大粒おおつぶあせ湧いわ ていた。
「本気です。辞めさせて下さい」
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 チームメイトたちが円陣えんじんキックをしながらこちらを注目していたので、宗介そうすけは今度は頭を下げなかった。
「ああやって懸命けんめいに練習している仲間を裏切るのか」
 浅野は花壇かだんのひまわりのくきをつかんだが、語尾ごび震えふる とともに折りとってしまった。
「自分の生き方を自分で決めただけです」
 青く高い夏空の下で、中学三年の宗介そうすけはためらうことなく言い切った。
 浅野は手にした大輪のひまわりを乾いかわ た地面に叩きつけたた   円陣えんじんの方に歩み去った。黄色い花びらが宗介そうすけのズボンのすそに散った。
 右ウイングの自分が抜けぬ ても、実力にほとんど差のない二年生の補欠を補充ほじゅうすれば、チーム全体の力は落ちない。だれにも相談せずに退部を決めた宗介そうすけがあくまで個人的な問題なのだと自らを納得させていたのにはこんな状況じょうきょう判断があったからだった。しかし、事態はかれの予想しなかった方向に広がってしまった。
 宗介そうすけが辞めたのを知った三年生のレギュラーたちが翌日から次々に退部を申し出るようになってしまった。宗介そうすけよりもはるかに成績のよいゴールキーパーの菅井すがいやハーフの堀田ほりたまでもが受験勉強を理由に辞め、夏休みの前日になって残った三年生のレギュラーは吉川きつかわ一人になってしまった。
 学校の花形クラブであるサッカー部の三年生の大量退部は職員会議の話題にもなったようだが、理由が受験勉強に専念したい、という至極しごくまっとうなものだったので、校長や教頭も口をつぐんだままだった。
 一学期の終業式を終えて校門を出るところで、宗介そうすけはユニフォーム姿の吉川きつかわに呼び止められた。吉川きつかわは照れたように目を細めながら自転車置場の方に手招きした。
「おれはさあ、頭もよくねえし、板前にでもなっておふくろの店手伝うしかねえんだけど、サッカーやりてえんだ」
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長文 8.2週 miのつづき

 スレート屋根の下の日陰ひかげはひんやりしていた。吉川きつかわはスパイクの裏のアルミピンで柱を蹴りけ ながら下を向いて話していた。
「都大会のベストイレブンになれたら、私立高校のサッカー部に特待生で入れるかと思ってな。おれはさあ、そう思ってサッカーやってきたんだ。板前になる前にサッカーで花咲かしさ  てみたくてな。おれの、夢だな。あの小せえ店に入る前に、夢くらい見たっていいと思ってな」
 吉川きつかわは下を向いたままいつの間にか泣いていた。乾いかわ た砂の上に落ちるなみだは夕立の雨つぶよりも大きかった。
「悪いな」
 宗介そうすけはもっとこの場に適した言葉を見つけられない自分にいらだった。いっそ殴っなぐ てくれたら、このいらだちも解消するのに、と思った。
「いや、いいんだ。ただ、おれのグチも聞いてもらいたくてさ。気にすんな。おまえ、いいウイングだったよ」
 吉川きつかわは顔を洗うように両手でなみだ拭くふ と、そのまま走って行って新しいチームのシュート練習に加わった。
 宗介そうすけは砂の上に残る吉川きつかわなみだあとをしばらく見つめていたが、やがて大きな深呼吸とともにくつで消し、校庭を振り返らふ かえ ずに校門を出た。
 
 (南木なぎ佳士けいしの文章による)
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