1人間に自由がなければ人間はかえってほんとうに幸福であったかもしれません。だれでも、一生に一度ぐらいは、青い空をなんの苦労も知らぬげに自由自在に飛びまわっている鳥にでもなってみたいと考えるのではないでしょうか。2鳥にも外敵は襲うでしょう。餌をあさるのに骨を折ることもあるでしょう。しかし、本能のままに動いている鳥は、おそらくそのために思い悩むこともありますまい。ところが、人間はすでに自由をもっているのです。どんな人でも、いやおうなしに、自分で行為を決定しなければなりません。3人生の苦労はすべてここから生じている、ともいえるかもしれません。
ひまさえあれば寝て暮らしても少しも悔いを感じない人は、そうした生き方がよいのだという考え方によって、その行為を選んでいるのです。4また、自分の利害ばかり考えて、ひとのことを少しも思いやらずに行為している人は、自分の利益だけをはかればよいのだという考え方の上に立って、行為を行っているのです。
5しかし、たとえそれが人間にとって不幸であるにしても、人間が自由をもっているということはどうしようもない事実なのです。われわれがこれにたいしていかに苦情をいったところで、どうなるものでもありません。われわれは、ただこの事実を認め、その上に立って行為するほかはありません。
6だが、人間がみずからの自由によって行為を選択しなければならないとすれば、そこにわれわれはどうしても自分の行為選択するための原理を考えないわけにはいきません。7むしろ、われわれは、行為を選択するばあい、必ずなんらかの原理をもち、それにしたがって行為を選択しているのだということができましょう。
8フランスの哲学者サルトルは、「人間は自由の刑に処せられている」といっています。まさに自由は人間のもって生まれた宿命なのだ、といえましょう。人間であるかぎり、われわれにはこの宿命からのがれる道はありません。われわれはこの宿命を甘受してゆくほかはありません。
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