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 人間に自由がなければ人間はかえってほんとうに幸福であったかもしれません。だれでも、一生に一度ぐらいは、青い空をなんの苦労も知らぬげに自由自在に飛びまわっている鳥にでもなってみたいと考えるのではないでしょうか。鳥にも外敵は襲うおそ でしょう。えさをあさるのに骨を折ることもあるでしょう。しかし、本能のままに動いている鳥は、おそらくそのために思い悩むおも なや こともありますまい。ところが、人間はすでに自由をもっているのです。どんな人でも、いやおうなしに、自分で行為こういを決定しなければなりません。人生の苦労はすべてここから生じている、ともいえるかもしれません。
 ひまさえあればて暮らしても少しも悔いく を感じない人は、そうした生き方がよいのだという考え方によって、その行為こういを選んでいるのです。また、自分の利害ばかり考えて、ひとのことを少しも思いやらずに行為こういしている人は、自分の利益だけをはかればよいのだという考え方の上に立って、行為こういを行っているのです。
 しかし、たとえそれが人間にとって不幸であるにしても、人間が自由をもっているということはどうしようもない事実なのです。われわれがこれにたいしていかに苦情をいったところで、どうなるものでもありません。われわれは、ただこの事実を認め、その上に立って行為こういするほかはありません。
 だが、人間がみずからの自由によって行為こうい選択せんたくしなければならないとすれば、そこにわれわれはどうしても自分の行為こうい選択せんたくするための原理を考えないわけにはいきません。むしろ、われわれは、行為こうい選択せんたくするばあい、必ずなんらかの原理をもち、それにしたがって行為こうい選択せんたくしているのだということができましょう。
 フランスの哲学てつがく者サルトルは、「人間は自由のけいに処せられている」といっています。まさに自由は人間のもって生まれた宿命なのだ、といえましょう。人間であるかぎり、われわれにはこの宿命からのがれる道はありません。われわれはこの宿命を甘受かんじゅしてゆくほかはありません。
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 こうして、人間は、自由によって行為こういしている以上、どうしても行為こういを選びその生き方を決定する根本的な考え方をもたないわけにはゆかないのですが、この考え方がいわゆる人生観ないし世界観というものです。そして、この人生観・世界観がすなわち哲学てつがくにほかなりません。

岩崎武雄の文章による)
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