1昔の人の脳と、いまの人の脳は、どう違うか。
昔の人の骨と、いまの人の骨、これはどう違うか。私が現物について、いくらか知っているのは、骨のことでしかない。その骨から考えるなら、四、五万年前このかたの人類は、根本的にはいまの人と同じ骨をしている。2だから、その頃から現代まで、人は同じような脳をしていたに違いない。そういう結論になる。
それ以前の人は、どうか。それなら、人類学でいう旧人、すなわちネアンデルタール人のことになる。これはもう、いまの人とは、骨がはっきり違っている。3実際に旧人は、われわれとは、脳がかなり違っていたのではないか。私はそう疑っている。
では、旧人と、いまのわれわれ、すなわち新人は、どこが違うか。最大の違いは、新人におけるシンボル体系の存在と、その豊富さであろう。4要するに、お金とかお守りとか、賭け事とかバクチとか、科学とか宗教とか、芸術とか演劇とか、それ自体は実用に役に立たず、約束事で成立するもの、そういうものが、旧人にはあまりなかったと思われる。
5われわれが常識としているような種類の言語、これも旧人では欠けていたか、不十分だった可能性が高い。そう私は考えている。ことばは、シンボル体系の典型だからである。
見てきたわけでもないのに、そんなことが、なぜわかるか。6それは、それに関する遺物が、旧人の遺跡からは出てこないからである。クロマニョン人、すなわち新人になると、突然、洞窟の壁画が出てきたりする。あんな見事な絵は、私にはとうてい描けない。あるいはお守りらしい、わけのわからぬ細工ものが出る。7それが旧人だと、石で作った刃物の類ばかり。これは実用性が高い。道具を見るかぎり、ある程度以上古い時代の人たちは、たいへん実用的だったということになる。
それでは面白くない。昔の人には、いまの人にない超能力でもなかったのか。8それは、さまざまなマンガに描かれているから、そういうものを見てくださればいい。いまの人が超なんとかを好むのは、いつも思うのだが、自然への感受性を失ったからであろう。自然を見ていれば、それ自体がほとんど超能力に見える。9
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