a 長文 4.3週 ma2
 他の痛みは自分と「関係ない」という心は、逆に、自分の痛みは痛がって、それを友や、親や、先生や、社会など、他の責任にして八つあたりする心と、共存しているような気がします。同じことでも、解釈かいしゃくによって、自分の心を励ますはげ  こととできるのに、いつも、悪く悪く解釈かいしゃくして、逆うらみや、ねたみや、敵意でこわばってしまうのでは、自分で自分の人間としての成長をはばんでいるようなものです。「それで、あなたは幸福ですか。」そういう声が聞こえます。「人のために何かする」という「何か」は、もとより「よいこと、役に立つこと」「よろこびとなること」をさしています。どんな人の心の中にも、「人をよろこばせて自分もよろこぶ」人間らしいうれしい心があります。これは、「そんな気持ち、ちっともないよ。」なんて、悪ぶっていばってもだめです。必ず、自分の気づかない心の底に、宝物のように輝くかがや 美しい心が横たわっています。
 (中略)
 もし、まだそんな気持ちを味わったことがないとお思いなら、ぜひ、自分の中に眠っねむ ている、すこし鈍感どんかん怠け者なま ものの宝ごころを掘り起こしほ お  てください。揺りゆ さましてください。「あ、こんな気持ちがあったのか。」「ちょっとうれしいなあ。」
 お金もほしい。物もほしい。異性の関心もほしい。親の庇護ひごや、先生の真心もほしい。けれど、そういうものより、何より、もっともっとうれしいのが、この「自分発掘はっくつの幸福感」、いいかえてみると、「自分の悪意とたたかって、自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ」だと思います。
 でも、この人間だけが味わえる、本能以上のよろこびは、不断の努力のあげくに、ふっと感じられるもの。このわずかな瞬間しゅんかんの、深い感動が味わいたくて、人は自分を訓練するのでしょう。

 (岡部おかべ伊都子いつこの文章による)
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