1落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい願いごとのように
この詩は、作者がある雑誌の依頼で、子どもが紙風船で遊んでいる一枚の写真につけたものだそうです。2紙風船は打ち上げてもまたふわりふわりと落ちてきます。宇宙船の船内なら上がったままでしょうが。願いごとも多くの場合、すーっと落ちてきます。
この詩のいのちは、
美しい願いごとのように
というすばらしい「比喩」にあると言えるでしょう。
3作者は、この詩について「風船はどんなに高く打ち上げても、それは地に落ちる」「願いごとの多くはむなしい」というニュアンスから、どうしたら抜け出すことができるかに努力したと述べています。4この詩を読むと、いつも光さす空を見ていよう、紙風船が落ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけよう、というような祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ感じます。
5いつだったかテレビの料理番組で、料理の先生が「なるべく(産地が)遠くの味噌をあわせて(まぜて)使うと、おいしい味噌汁ができる」と話しているのを聞いて、言葉も同じだなと思いました。
「月とスッポン」ということわざがあります。6二つの物があまりに違いすぎる、不相応だという意味ですが、このことわざ自体、月とスッポンという非常に遠い物を結びつけて、「月とスッポンのようだ」としているために、長くわたしたちの印象に残ることとなったとわたしは思います。
7比喩を、日常の会話でも効果的に使うと、表現が生きてきます。「赤ん坊が激しく泣く」というより「赤ん坊が火がついたように泣く」、といったほうが印象の強い表現になります。また、比喩は詩歌で古来重要な働きをしてきました。
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