a 長文 6.3週 ma
 落ちて来たら
 今度は
 もっと高く
 もっともっと高く
 何度でも
 打ち上げよう
 美しい願いごとのように
 
 この詩は、作者がある雑誌の依頼いらいで、子どもが紙風船で遊んでいる一枚の写真につけたものだそうです。紙風船は打ち上げてもまたふわりふわりと落ちてきます。宇宙船の船内なら上がったままでしょうが。願いごとも多くの場合、すーっと落ちてきます。
 この詩のいのちは、
 美しい願いごとのように
というすばらしい「比喩ひゆ」にあると言えるでしょう。
 作者は、この詩について「風船はどんなに高く打ち上げても、それは地に落ちる」「願いごとの多くはむなしい」というニュアンスから、どうしたら抜け出すぬ だ ことができるかに努力したと述べています。この詩を読むと、いつも光さす空を見ていよう、紙風船が落ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけよう、というような祈りいの に似た詩の心が伝わってきて、励ましはげ  さえ感じます。
 いつだったかテレビの料理番組で、料理の先生が「なるべく(産地が)遠くの味噌みそをあわせて(まぜて)使うと、おいしい味噌汁みそしるができる」と話しているのを聞いて、言葉も同じだなと思いました。
 「月とスッポン」ということわざがあります。二つの物があまりに違いちが すぎる、不相応だという意味ですが、このことわざ自体、月とスッポンという非常に遠い物を結びつけて、「月とスッポンのようだ」としているために、長くわたしたちの印象に残ることとなったとわたしは思います。
 比喩ひゆを、日常の会話でも効果的に使うと、表現が生きてきます。「赤ん坊あか ぼうが激しく泣く」というより「赤ん坊あか ぼうが火がついたように泣く」、といったほうが印象の強い表現になります。また、比喩ひゆは詩歌で古来重要な働きをしてきました。
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 ところでいつだったか、これもテレビで見たのですが、スポーツ評論家のSさんが、こんな話をしていました。
「フォークボールの投げ方を選手に教えるのに、球をこう握っにぎ てこうして投げるんだよと、動作で見せるばかりでなく、カーテンのヒモを下へ引っ張るように――という例えで話してやると、印象強く、よりよく伝えることができる」
 驚きおどろ ました。フォークボールを投げるというような肉体的な技術は、その動きをやってみせることが最上の、それ以外にない教え方だと思っていましたが、そこに比喩ひゆが大きな働きをするなんて!

川崎かわさき洋「教科書の詩を読みかえす」から)
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