1道具との距離が遠くなったことはそのまま自然がわれわれから遠くなったことでもある。かつてなにをすべきかという人間の疑問に答えたのは自然だった。2自然の解答は時としておそろしく苛酷で矢つぎばやで、人はそれを遂行するに忙しく、時には遂行しきれないで死ななくてはならないこともあった。3だがなにをすればよいかわからないなどという馬鹿げた宙ぶらりんなみじめな状態を人は知らなかった。今ではみんなが途方にくれている。自然との関係において自分を人間にしたてあげてゆくような者はもういない。4人間はもうこの世界から絶滅しかけている。自然は死んだとメアリ・マッカーシーは言うが、死んだのは人間にとっての自然、と言うより自然の前における人間の方なのだ。5今、数を誇っている奇妙なこの生物をどんな名で呼ぶべきだろうか。
彼等は最近気まぐれな女々しいノスタルジアから手づくりの道具云々と口走っている。6だが自然からかくも離れてしまった彼等、物を加工するにあたって不可欠な形と質と重さと強度の感覚を養成することを怠ってきた彼等にいったい何が作れるというのか。7一枚の板がどれだけの荷に耐え、どれだけの荷でしなうか、それを材料工学によってではなく感覚的に知る者はいない。従っておそらく彼等が手で作る物はすべて醜く、使用に耐えず(あるいは使用目的さえ明らかでなく)要するにガラクタに過ぎないだろう。8あるいは料理にしても、料理Aを作るために材料a・b・cを集めることは知っているが、まず材料aを与えられてそこから出発するという自然な順序では何一つできない。自然の中で生命を維持することは生物の基本的条件だが、大半の人間はそれを満たしていない。9ロビンソン・クルーソーの資格をもつものはほとんどいないだろう。
道具についてもう少し考えてみよう。道具はどのようにして作られ、どのような関係を人とのあいだに結ぶか。自然に近い場で暮らす者にとって斧は大変便利な道具である。0そのような場所ではある年齢に達した男子はみな自分の斧を持ち、どこへ行くにもそれを携える。ある少年がやっとその年齢に達したとしよう。父親は
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