1価値が変動し、混乱していくなかで、健康な体というのは、ひとつのよりどころにはなるでしょうが、健康な体、たくましい体だけがあればいいのかといえば、そうではないことは当然です。
2前にC・W・ニコルさんから南極かどこかへ探検に行ったときの話を聞いたことがあるのですが、彼はこんなことを言っていました。
3南極などの極地では、長いあいだテントを張って、くる日もくる日も風と雪と氷のなかで、じっと我慢して待たなければいけないときがある。そういうときに、どういうタイプの連中がいちばん辛抱づよく、最後まで自分を見失わずに耐えぬけたか。4ニコルさんに言わせると、それは必ずしも頑健な体をもった、いわゆる男らしい男といわれるタイプの人ではなかったそうです。
5たとえば、南極でテント生活をしていると、どうしても人間は無精になるし、そういうところでは体裁をかまう必要がないから、身だしなみなどということはほとんど考えなくてもいいわけです。6にもかかわらず、なかには、きちんと朝起きると顔を洗ってひげを剃り、一応、服装をととのえて髪もなでつけ、顔をあわせると「おはよう」とあいさつし、物を食べるときには「いただきます」と言う人もいる。7こういう社会的なマナーを身につけた人が意外にしぶとく強く、厳しい生活環境のなかで最後まで弱音を吐かなかった、というわけです。これはおもしろい話だと思います。
8礼儀、身だしなみ、こういうことは極限状態のなかでは最後に考えることのような気がします。しかし実際には、そういうなかで顔をあわせたときにきちんと「おはよう」とあいさつのできるような人、「ありがとう」と言えるような人、9あるいは朝、ほんのわずかな水で顔を洗い、ひげも剃って、それなりに服装をととのえ、そして他人と礼儀を忘れずに接するという、小さいときからの自分の生活態度をずっと守りつづけたようなタイプの人のほうが、最後までがんばりぬいて弱音を吐くことがなかった、という。0そんな話を聞いたりすると、うーん、それも新しいサバイバルの方法であるな、という感じがします。
同じようなことは、今世紀最大の悲劇と語りつがれるアウシュヴィツの強制収容所でもいえそうです。
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