1では「美」とは何か、どういうものか、これは大学で学ぶ「美学」というものがあるほどの大テーマですから簡単には言えませんが、それが知りたくて読んだ岸田劉生の『美の本体』(講談社学術文庫)という、むかしよく読まれた本があります。2その中で、「『美しい』と『きれい』とはちがうのだ」という一行だけが印象に残っています。その言葉のためにある本のようなものでした。「きれいなもの」もいいけれど、そのうち飽きてきます。3いつまでも、あるいはいつ見ても心に響くということは少ないでしょう。
その本が文庫本になっていたので、最近読み直して、若いときに、こんな難しいものをよく読んだなと思いました。そして「絵描きは美の使徒である」という言葉に出会って少し苦笑しました。4それは自分でそう言い聞かせて、自分を駆り立てているのだと、好意的に読むことはできました。絵描きが「ぼくは美の使徒だ」と言うのは自由だけれど、他人が言うのでなければ信憑性がありません。
5今はどうか知りませんが、旧ソ連では、絵描きであることが尊ばれたそうです。「あの人は芸術家だから」とか「あの人はバレリーナだから、配給より少しよけいに食べさせてやらないとかわいそうだ」ということがあったといいます。6ニューヨークでも、アーチストのためのマンションというのがあります。職業はみんな平等なのに、アーチストと名のつく仕事についている人は優遇されて安く住むところが用意されているのだそうです。
7日本では、優遇どころか、たとえば義務教育の教科の中から、美術の時間は無くなるか、もしくは減らされています。国策として科学的発見を願う時代に、「美」などは迂遠なことのように思われ、直接コンピューターの教育を徹底すれば足りる、と考えられているようですが、わたしにはそう思えません。8科学的にも、芸術的にも「美しいものを創造しよう」とする感性と執拗な努力が両輪となって、新しい境地を開くのです。努力は金のためであったとしても、その努力を続け得るのは、美しいものに魅せられる感性のた
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