1自分のよさを見つけていくというのは、案外に、他人のよさを見つけていくことよりも、難しい。だれでも、多少はうぬぼれはあるものだが、自分のよさを見つけていくのは、それとまた別だ。
2たいていは、よいところといやなところは、重なりあっているものだが、他人については、そのよさが目だってうらやましく、自分のほうでは、いやな部分が目について、それを他人にかくしたくなる。
3なにごとにも、よいことと悪いこととが重なっていると言っても、それを恐れて、なにもしないのは、もっと悪い。自分に、よさと悪さが重なっていても、それを人に見せまいと思ってかくしているのは、もっと悪い。
4中学生あたりでは、自分にはイヤな性格があると思いこみ、それを他人に見せまいとイイコぶるのに疲れはてていることが、よくある。イヤなところを見せては、他人にきらわれるのではないかと、それがこわくて内にひきこもっていることもある。5実際はたいてい、イヤなところを見せるより、イヤなところを見せまいと引きこもってるほうが、よほど他人にきらわれる。
それに、そのイヤなことというのは、自分が思うほどには、他人にいやがられるものではない。6かりに、本当に他人にきらわれるとしても、そこをさらけだして、あの人はいやな人だ、しかし、おもしろい人だ、とまでならなくては、一生イジイジし続けねばならない。7そして、なんのイヤミもないと他人に好かれる、というのは、あまりないし、あってもたよりない感じで、イヤなところがあるが気に入った、といった目で見られるようになるほうが、ずっと味のある人柄になる。
8だれにも悪口を言われないようにしている人というのは、そのこと自体で、みんなからよく思われない。9他人を意識しはじめた中学生のころに、他人の悪口が特別に気になるのは仕方がないにしても、悪口を言われないようにしようという、その態度自身が他人の悪口の材料になりやすい、という事実には早く気づいたほうがよい。
0少し楽観的なのかもしれないが、人間というものは、本来はそれぞれの性格を持ち、それぞれの才能や容姿を持ち、それはいいところと悪いところが重なりあって、他人から見れば好かれたりきらわれたりしながらも、それがそのまま生きていれば、たいへんおもしろいものだ、とぼくは考えている。人間がその人らしく生きているさまというのは、すべておもしろい。
自分は、自分のようにしか生きられない。そして、本当にそのよ
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