1がんばることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使います。「勉強しなさい」とは、学校でも家でもよくいわれることで、みなさんの中にはいいかげん耳にたこができている人もいるのではないでしょうか。2みなさんは小学校時代を通じていろいろなことを学び、そして、さらにこれから中学校に進学して勉強をつづけようとしています。それでは「勉強」とはどのようなもので、何のためにするものなのでしょうか。
3日本の漢字には音読みと訓読みがあります。「べんきょう」というのは音読みですが、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むことができます。4「つとめる」とは一所懸命にはげむこと、「しいる」とは無理やりやらせることといった意味です。5つまり、「勉強」には、「学問につとめはげむ」という意味の中に、何かを無理じいするニュアンスがふくまれるため、はじめからいやな印象がつきまとっているのです。「勉強しなさい」といわれて、いやな気分になるのは、もっともなことかもしれません。
6また、日本語の「勉強」には、次のような使い方もあります。
例えば、八百屋さんで野菜を買おうとするときのことです。できるだけ安く買いたいと思い、ねぎったときに、八百屋さんが、「勉強しましょう」といいます。
7これは、本当は安くしたくはないのだけれども、しかたない、お客さんのためにおまけしますという意味です。
8この八百屋さんは安く売ることを「つとめ、しい」られていますが、みなさんがやっている「勉強」の場合にも、何かいやなことを「つとめ、しい」られるという感じがあるのではないでしょうか。9次にこの「勉強」について、中国語のもとの意味から考えてみましょう。
中国語の「勉強」にも「つとめ、しいる」、「むりじいする」という意味はあります。しかし、現在、中国では、みなさんがやっている「勉強」には、「学習」という漢字を使います。0「わたしは日本語を勉強しています。」を中国語に直すと、「我学習日本語。」となります。しかも、中国語でいう「勉強」は、学問だけにつとめはげむという限定された意味では用いません。
(中略)
島国の日本は歴史的にみて、つねに新しい外来の文化をより早くより多く輸入しなくてはならない状況にありました。最初は中国から、明治時代以後はヨーロッパから、多くの知識を夢中になってとりいれてきました。その結果、日本人は外来文化の表面的な部分ばかりを身につけ、内面的な部分について学ぶことをなおざりにし
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