a 長文 11.2週 hu
 わたしたちは長い間、木綿と木の中で暮らしく  てきた。だが明治以降いこうそれを捨てす て、新しいものへ、新しいものへと人工材料を追いかけてきた。
 (中略)
 今、千三百年たった法隆寺ほうりゅうじのヒノキの柱と新しいヒノキの柱とではどちらが強いかときかれたら、それは新しいほうさ、と答えるにちがいない。だが、その答えは正しくない。なぜならヒノキは、切られてから二、三百年の間は、強さや剛性ごうせいがじわじわと増して二、三わり上昇じょうしょうし、その時期を過ぎて後、ゆるやかに下降かこうする。その下がりカーブのところに法隆寺ほうりゅうじの柱が位置していて、新しい柱とほぼ同じくらいの強さになっているからである。つまり、木は切られた時に第一の生を断つが、建築の用材として使われると再び第二の生が始まって、その後、何百年もの長い歳月さいげつを生き続ける力をもっているのである。
 バイオリンは、古くなるほど音がさえるというが、それもこの材質の変化で説明できる。用材の剛性ごうせいが増すとともに、音色がよくなるのである。したがって、音色がよくなるのはある時期までで、その後はしだいに元にもどっていくだろうことも想像に難くかた ない。
 ところで、その名人によると、ヒノキでつくったバイオリンは、どうしても和風の響きひび がするというのである。もともとバイオリンは、トウヒとカエデを組み合わせてできたものである。使用する樹種じゅしゅも形も、十六世紀後半に定まり、それ以後、近代科学の改良案もほとんど寄せつけないほどに完成した、手工芸の結晶けっしょうである。ほかの樹種じゅしゅ置き換えるお か  のが難しいむずか  ことはよくわかる。だが、ヒノキのバイオリンは和風の響きひび がするというのはおもしろい。
 木は同じ種類のものでも、産地により立地によって、材質が少しずつ違うちが それは、物理的、化学的な試験によっても証明できないほどの微妙びみょうな差であるが、市場では長い経験によってそれぞれを区別し、値段ねだん取り扱いと あつか 違っちが ている。例えば、ヒノキの中では木曾きそ産のものが最高級だ、といったような評価である。
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 また、木はそれが生育した土地で使われたとき、いちばんしっくりとして長持ちするということも、木に詳しいくわ  人たちのよく知るところである。これは木のもつ風土性とでもいうべきもので、どこか食べ物の話に似ている。その土地でとれた素材を使い、伝統の調理法でつくった料理がいちばんうまい、というのと同じような意味あいである。
 ヒノキの属には世界に六つの種があるが、なかでも日本のヒノキは材としての風格が一段といちだん 高い。だからこそ白木造りの建築が生まれたのであるが、それは日本という風土の中に置かれたときが最もふさわしく、また性能も発揮はっきする。つきつめていえば、木曾きそのヒノキは木曾きそで使われたとき、奈良ならのヒノキは奈良ならで使われたときが、いちばんしっくりするということになるだろう。
 わたしたちは、機械文明の恩恵おんけいの中で、工学的な考え方に信頼しんらいを置くあまり、数量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎてきたきらいがあった。だが、自然がつくったものは、木のように原始的で素朴そぼくな材料であっても、コンピューターでは解明できない側面をもっているのである。

 (小原二郎じろう『日本人と木の文化』による)
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