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 ユーモアについて、話がしたくなりました。
 第二次大戦の時、イギリスの主要都市は、ドイツ空軍の激しいはげ  爆撃ばくげきにさらされました。特にロンドンは熾烈しれつでした。この時、建物を大破されたロンドンのあるデパートが、
「平常通り営業。本日より入口を拡張かくちょうしました」
というカンバンを出しました。よく知られているエピソードです。
 先日、イギリス人がユーモアについて書いてあるものを読んだらこうありました。
わたしたちイギリス人は、『ユーモアのセンス』というものには特別のプライドを持っているし、また、それについて敏感びんかんである。たとえばイギリス人に向かってモラルがないとか、仕事ができないと言ってもおこりはしない。自分には音楽がわからない、と自慢じまんする者もいる。しかしイギリス人にユーモアのセンスが無いと言ったらぶんなぐられるはずだ。他国では、人の悪口を言うとき、ばか、臆病者おくびょうもの、極悪人などと呼ぶよ が、イギリスでは『ユーモアのセンスが無いね』と言うのである。これは最高の侮辱ぶじょくとなる」
 国民性のちがいと言ってしまえばそれまでですが、日本では、ユーモア感覚は、それほどまでには高く評価されていないように感じます。お互い たが にもっとユーモアの感覚をみがこう」というより「人間マジメに、一生懸命いっしょうけんめいに働くのが一番だ」という言葉のほうが、説得力を持つのではないでしょうか。
 空襲くうしゅう爆破ばくはされたデパートが、「本日より入口を拡張かくちょうしました」というカンバンを出すなんて不真面目だ。「空襲くうしゅうによる被害ひがいのためお客様にご迷惑めいわくをおかけいたします」と書くべきだ。というのが真面目な人の反応でしょう。
 真面目な国から真面目をひろめにやってきたような人っているものです。そういう人は、もしかしたら欠陥けっかん人間と呼んよ でいいかもしれません。自動車のハンドルにあそびがあるからこそ、自動車を安全に運転することができます。ユーモアは命を運転して人生をわたっていくのに欠かすことのできないものです。
 と言いながら、生真面目な言い方になりますが、明治以来、日本
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の文学は喜怒哀楽きどあいらくあいだけに片寄りかたよ 過ぎたように思います。喜びや楽しみを書いたものは評価が一段いちだん低かった。近代の苦悩くのうについて書いたものが文学としては上等で、人生の深みにおもりを下ろしていると最敬礼さいけいれいされてきました。
 詩に限ってみても、上質の軽みに成熟せいじゅくを示した詩、ユーモアの詩が書かれるようになったのは戦後のことです。
 ただ、ユーモアというものは、論理ろんり解釈かいしゃくできるものではなく、それを受信する感性の装置そうちをそなえているかどうかなのですね。頭がどんなによくても、それだけではだめ。いくら知識があっても、それだけではだめだということです。
「平行な二直線が他の直線と交わってできる錯角さっかくは等しい」という定理なら、これを証明することができます。しかし、ユーモアは、たとえるなら花のかおりのようなもので、口ではうまく説明できない。
 数学なら数学、物理なら物理、こういう真面目なことというものは、一生懸命いっしょうけんめい努力すれば分かります。少なくとも分かるはずです。しかし、ユーモアというものは、ユーモラスと感じるか感じないかというセンスの問題になるわけです。

 (横浜よこはま共立学園中)
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