1みなさんには、まだ字を読めないころの読書体験がありますか。いや、これは矛盾していますね。字を知らなければ、読書はできない。言い直しましょう。2字が読めないことを意識しつつページをめくり、「ここには何が書いてあるのだろう」と思い、もどかしい興奮をおぼえたことがありますか――ちょうど開かずの間の戸を見るように。
わたしにはあります。3雑誌だったか、その付録だったか、とにかく兄の本です。そこに「漫画の描き方」のようなものがのっていました。しかし、字は読めない。だからこそ、想像を絶するほどおもしろかったのです。で、また矛盾したことを申し上げましょう。4そのおもしろさを、想像してみてください。そこにあったのは、実に不可思議な世界です。技法説明のため、さまざまな表情や姿がならんでいました。かと思うと、それらを生み出す、裏方のペンやインクの絵が描いてあったりします。
5わたしが一番強烈におぼえているのは、こういう場面です。古い漫画の手法では、人が歩いた後に、マッシュルームを横にしたような印が、次々についていきます。砂ぼこりの象徴なのでしょう。6さて、その本の中の人物は、ほこりマークを現実にあるもののように扱っていたのです。手に持っていたのかもしれません。拾い集めていたか、あるいは、歩く人物の後ろに置いていったのかもしれません。7そうやって、描き方を説明していたのです。なんとも奇妙な絵でした。「ここに書いてある字が読めたらなあ」と、強く思いました。どういう部屋のどのあたりにすわっていたかも含めて、その時の記憶が鮮やかにあるのです。8小学生になってからも、時々、あの漫画にもう一度会いたいと思いました。
さて、「漫画の描き方」は、本来の目的からいえば、鑑賞のためにあるのではなく、実用のためにあるものです。9しかし、わたしにとって、それは謎に満ちた物語、通常の音階を持たぬ歌だったのです。これこそ、本というものの持つ力ではないでしょうか。た
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