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 ヨーロッパにおけるリンゴの栽培さいばいは『創世そうせい記』までさかのぼり、四千年を越えるこ  歴史をもっています。なえ木を導入して明治から始まった日本のそれは、ようやく百年を越えこ たばかりです。ウィリアム・テルが息子の頭上のリンゴを矢でぬいたときも、ニュートンがリンゴの落ちるのを見たときも、グリム兄弟が、「白雪姫しらゆきひめ」に毒リンゴを食べさせたときも、日本人はだれもこの果物を知りませんでした。
 こうした歴史の違いちが は、東西のリンゴのありように大きな差をもたらしました。欧米おうべいのリンゴは大衆たいしゅうの中で育ち、生食用、加工用、料理用と多彩たさい用途ようとに分かれ、小玉でも外観が悪くても、味がよければよしとするポリシーで今日に至っいた ています。それに対し、日本の場合は、病気見舞いみま のぜいたく品として出発し、生食用一本で、ひたすら外観重視じゅうしの「高級化」の道を歩いてきました。こうした流れは、リンゴが十分大衆たいしゅう化した今日まで、変わることなく続いています。
 外国を旅すると一目瞭然いちもくりょうぜんですが、今日、日本のリンゴほど見栄えのするリンゴは世界のどこにもありません。また、そうした外観への極度のこだわりは、リンゴだけではなく、日本の果樹かじゅ生産の一般いっぱん風潮ふうちょうにすらなっています。料理を目でも食べることが身についている日本人にとって、より美しい果物を食べたいというのは国民性といえるかもしれません。とくに、輸入自由化をひかえた今、国産果実の美観は日本の果樹かじゅ産業を外国の果樹かじゅ産業から防衛するための大きなセールスポイントになることでしょう。また、すべての食べ物は、見た目に汚いきたな よりはきれいな方が精神衛生にいいことも否定ひていできません。
 ただ、本末転倒ほんまつてんとうなのは、しばしば味よりも「見てくれ」の方が、「高品質化」の上位に座っすわ ていることです。外国から物や技術を導入してそれを独自に改変し、付加価値かちをつけて発展はってんさせるのは、いわば日本の「お家芸」で、貿易摩擦まさつの要因にもなっています。果
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実もその例外ではありません。
 昭和五十六年(一九八一年)の夏、カナダから数人の昆虫こんちゅう学者が来日して、盛岡もりおかで「リンゴ害虫の総合防衛」についてのシンポジウムが開催かいさいされました。これは日本とカナダの二国間科学技術協定に基づいて行ったものです。シンポジウムのあと、同伴どうはんの夫人たちともども、折から紅葉こうよう真っ盛りま さか の十和田湖を経由して、青森のリンゴ栽培さいばい地を視察しさつしてもらいました。夫人たちがびっくりしたのは紅葉こうようで、「これほど美しい紅葉こうようは生まれて初めて見た」と歓声かんせいしきりでした。冬になるといきなり葉が枯れか て色気もなく落葉してしまうカナダから来て、日本でも指折りの十和田の紅葉こうようを、それも最高の時期に見たのですから、あながちお世辞ではないようです。しかし、夫人たち以上に学者たちがびっくりしたのは、日本のリンゴ栽培さいばいのやり方でした。リンゴ園の地面を銀色のビニールで覆いおお 、反射光しゃこうでリンゴのしりを着色させたり、リンゴをひとつずつ手で一八〇度回してまんべんなく日に当てて着色させる技術は、欧米おうべいにはまったくないものです。
 日本では、いろいろな果物を紙袋かみぶくろ覆っおお て育てます。この労力を要する技術は・多雨・多湿たしつの風土の中で、病害虫の被害ひがい防止のために生み出されました。リンゴの場合も「ふくろかけ」は、幼虫ようちゅうが果実に深くあなを開けて致命ちめい的な害を与えるあた  シンクイムシ類の被害ひがい防止が目的でした。しかし、化学農薬が発達し、別の防除ぼうじょ技術が確立された現在でも、ふくろかけは根強く残っています。果実の葉緑素の形成を抑えおさ ふくろをはずした後の果実を鮮やかあざ  に着色させるためです。その代わり、糖度とうどは下がり、味は確実に落ちます。このような特異とくいな国産技術は、多かれ少なかれほとんどあらゆる果樹かじゅで見られますが、特にリンゴで目立ちます。
 これらのキメ細かな技術は、リンゴをおいしくするためでなく、ひたすら美しく色づかせる目的で開発されてきました。人工着色などは、ふつうなら人気品種をうまく作れない土地でも美しく色づか
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長文 2.3週 heのつづき
せるために編み出された苦しまぎれの技術で、確かに購買こうばい意欲いよくをそそるような見事に美しいリンゴが生まれます。もちろん味はがた落ちで、作っている生産者自身が食べないようなこんなリンゴを、消費者が何度もだまされて買うとはとても思えません。
 さすがにこうした味を悪くする技術は県の指導もあってすたれる傾向けいこうにありますが、一体この日本特有の現象はだれが悪いのでしょうか。美しくなければ買わない消費者が悪い、外観重視じゅうし値段ねだんをたたく流通機構に問題がある、まずくなるのを承知でやっている生産者が悪い……意見はさまざまでしょうが、はっきりしているのは、この奇妙きみょうな日本人の美意識には、いささかの軌道きどう修正の必要があることです。
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