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 テレビが普及ふきゅうして、映画えいがを見る人が少なくなったというのはほんとうです。「視聴覚しちょうかく文化」が盛大せいだいにおもむき、本を読む人が少なくなるだろう、というのは、どうもほんとうらしくありません――ということは、およそ常識からも察せられるでしょう。
 娯楽ごらくとしてのテレビと映画えいがとはたいへんよく似ています。見るほうが受け身で、すわっていれば画面のほうがこちらを適当に料理してくれます。それほど似ているから、どちらか一方でたくさんだという考えのおこるのもむしろ当然のことでしょう。ところが本を読むのにはいくらか読む側に努力がいります。また読む速さをこちらが加減することもできるし、つまらぬところを省くこともできる。おもしろいところを二度読むこともできるし、むかしの人の言ったようにしばらくかんをおいて長嘆息ちょうたんそくすることもできます。そういう本をよみながらできることは、映画えいがやテレビを見物しながらは、どうしてもできません。要するに本を読むときのほうが、読む側の自由が大きい、自分の意志や努力で決めることのできる範囲はんいが広い、つまり態度が積極的だということになるでしょう。
 「今日は疲れつか たから、映画えいがでも見ようか」とはいいますが、「疲れつか たから本でも読もうか」という人があまりいないのはそのためであり、そもそも読書法ということは成りたっても、映画えいが・テレビ見物法ということが意味をなさないのもそのためです。一方は受け身のたのしみ、他方は積極的なたのしみで、受け身のたのしみが増えるということは、かならずしも積極的なたのしみを求めなくなるということではありません。娯楽ごらくの性質がまったく違うちが から、いわゆる視聴覚しちょうかく「文化」または「娯楽ごらく」は、読書のたのしみを妨げるさまた  ものではないでしょう。
 しかしテレビには娯楽ごらく番組のほかに、いくらか知的好奇こうき心を刺激しげきする番組もあります。たとえば憲法けんぽうについての座談ざだん会とか、ダム建設工事現場の写真とかいったものが「憲法けんぽう」や「ダム建設」に対する好奇こうき心を刺激しげきします。しかし、その好奇こうき心を十分に満足させるようなまとまった知識を与えあた てくれることは、ほとんどありません。そこで「憲法けんぽう」に関しまた「ダム建設」に関して、まとまった知識を読書によって得ようという欲求よっきゅうがおこっても、ふしぎではない。
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そうなればテレビは、読書を妨げさまた ないばかりでなく、むしろ助長するようにはたらくということになりましょう。少なくともそういう一面がありうると思います。
 新しい絵はわからないという人がよくあります。新しい絵というのは、抽象ちゅうしょう絵画のことでしょう。よくわからないというのは、その絵が本来、魚を描いえが たものか、女性を描いえが たものかわからないという意味でしょう。それならば、新しい絵はわかる必要のないものです。(中略)しかし、本を読むということになると、これはどうしてもわからなければ無意味です。魚のことを言っているのか、女性のことを言っているのかわからなくてはどうにもなりません。少なくとも、ある種の美術はわかる必要のないものです。音楽は絵と同じ意味ではなにものも表現していないので、そもそもわかるはずがない。読書だけが絵を見ることや音楽を聴くき ことと違うちが のです。すべての本は言葉からできあがっていて、すべての言葉はなにかを意味します。その意味をとらえて、意味相互そうごのあいだの関係を理解することが、本を読む法、つまり本をよくわかることでしょう。読むこととわかることとは切り離せき はな ません。
 しかし、世の中にはむずかしい本があります。どうすればたくさんの本を読んで、いつもそれをわかることができるようになるでしょうか。その方法は簡単かんたんです。しかし、おそらく読書においてもっとも大切なことの一つです。すなわち、自分のわからない本はいっさい読まないということ、そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよくわかることができます。少しページをめくってみてあるいは少し読みかけてみて、考えてもわかりそうもない本は読まないことにするのが賢明けんめいでしょう。一さつの本がわからないということ、ただそれだけでは、あなたが悪いということにもならず、またその本が悪いということにもならない。これはよく心得ておくべきことで、そのことさえ十分に心得ていれば無用の努力、無用の虚栄きょえい心、または無用の劣等れっとう感をはぶき、時間のむだをはぶくことができるでしょう。だれにもわかりにくい本というのがあります。わたしにはわかりにくいけれども、ほかの人にはわかりやすい本というのがあります。また最後に、だれにもわかりやすい本というものがあるでしょう。
 (加藤かとう周一「読書術」より)
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