a 長文 6.2週 ha2
 本とはふしぎな王国だ。そこにはこの世のあらゆるものごとが生きながらにとじこめられている。
 本たちはおとなしい。白い紙の上につつましくくりひろげられた黒い文字の織りなすレース。そのとばりのかげに数々の驚異きょういをひそめながら、彼らかれ はあくまでも沈黙ちんもくのうちにやすろうている。ページをひらき、この文字という暗号を読み解かないかぎり、すべてはひっそりと眠っねむ たままだ。
 ときどきふっと、こんなふうに思うことがある。字というものをおぼえてこのかたこの年までに、本のなかで出会った人々の数ははたしてどれくらいだろうか、と。何百人、いや何千人にも及ぶおよ だろうか。その数は、もしかすると現実に生身のわたしが知り合った人の数をはるかに上回るかもしれない。わたしのまずしい行動半径ではおよそ考えられないような出会いも、本の王国では、たしかになしとげられたのであるから。
 現実の人間がそうであるように、本のなかの人々も、会ったひとすべてがそのまま友達になれるわけではない。会うそばからわすれてしまうこともあり、目のまえをただ通りすぎていっただけでそれっきり思い出さない場合もあるだろう。
 それでも、長年のうちには、そうした本のなかの住人のいく人かと、生身の友人にもまさるとも劣らおと ぬ友情をむすぶことができた。一目ぼれでぞっこんまいってしまった相手もあれば、はじめは反発しながらも奇妙きみょうに心にこびりついて、いつしか忘れわす られない人物になっていった人もある。
 本がもたらしてくれた友人は、何も作中人物ばかりとはかぎらない。たいていの本にはその生みの親である作者がいて、その人々との交流もまた楽しいものだ。作品自体はそれほど成功していなくても、また文学書以外の実用書や科学書でも、それを書かずにいられなかった作者や著者ちょしゃのよろこびや痛みいた 、その一さつにたくした夢や、時にはその人間的弱味までが生き生きと、たくまずして伝わってきて、思いがけない親しみのきっかけになったりもする。
 本のなかの子供こども――。作者という存在そんざいを考えるとき、本のなかの人々はすべてその作者の血をわけた生みの子であり、また本そのものが彼らかれ 子供こどもだということもできよう。

(矢川澄子すみこの文章より)
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