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 メダカは長さが三、四センチしかない小さな魚で、わたしたちが子どものころはほんとうにどこにでもいました。あまりにありふれていたので、フナやコイなどとくらべると、子どもにとってあまり魅力みりょくのない、雑魚の代表のような魚でした。
 ところが、このメダカがなんと「絶滅ぜつめつ危惧きぐ種」として絶滅ぜつめつを心配されているというニュースが流れたのです。一九九九年のことです。子どものころ魚とりに熱中したことのある、わたしたちの世代にはとても信じられないことでした。減ったことは事実かもしれない、でもメダカにかぎって絶滅ぜつめつということは考えられない、というのが実感でした。しかし、これはどうやら信じなければならない事実のようです。じつに悲しいことです。その背景はいけいにはつぎのようなことがありました。
 かつて田んぼは用水路で水を引いていました。その用水路は田んぼとほぼ同じ高さにあり、微妙びみょうな高さの違いちが を利用して水の入り口と出口がつくられていました。ひとつの田んぼから出た水がとなりの田んぼに入る、という構造になっているものもありました。そのような用水路は地形に応じて曲がっており、深さも一定でないので、水の流れにも微妙びみょう違いちが があり、それに応じて違うちが 植物が生えていました。昔の子どもが夢中で魚とりをしたのは、このような用水路でした。秋になって田んぼから水が抜かぬ れても用水路には水が残っており、くぼみが「魚だまり」となって魚が生きていたのです。
 ところが、一九六〇年代からはじまった農業基本整備事業によって、自然の地形に応じてつくられていた田んぼに大きな変化が生じました。かつて人力で営々と築かれてきた田んぼは、大規模きぼな土木工事によって完全につくりかえられてしまったのです。田んぼの水が管理しやすいように、用水路はU字管というコンクリートの管にされました。断面の形がU字型なのでこう呼ばよ れます。U字管の機能は水田に水を運ぶことですから、それ以外のものは必要ありません。その結果、水を流すときは洪水こうずいのように大量の水が勢いよく流れます。
 魚が隠れるかく  ところもなければ、カエルがたまごを産むところもありません。用水路は田んぼから効率的に排水はいすいするために、水田との
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高さの差が大きくなるようにつくられました。このため、水を抜くぬ と田んぼは完全に干上がりひあ  ます。U字管には魚だまりはありませんから、土の中にもぐって生きるドジョウや小さなメダカも生き延びるい の  ことはできません。その結果、夏の「洪水こうずい」と冬の「砂漠さばく」がくりかえされることになります。これでは生きていける動物はいません。
 ところが、小動物に対する仕打ちはこれにとどまりませんでした。ちまちました小さな田んぼは農作業の効率が悪いことは確かです。そこで「暗渠排水あんきょはいすい」といって、田んぼの地中に管を埋めう 、水を集めて排水はいすいすることがすすめられたのです。こうすれば水路に使った土地も使えるし、細かなデコボコをなくすことができると考えたのです。こうなると動物には生活する場所がまったくなくなってしまいます。こうして、メダカに代表される無数の小さな生きものたちは、田んぼから姿すがたを消していったのです。
 日本の農業は稲作いなさくが中心ですが、それは米を巨大きょだいなポットのようなところで効率的につくることだけではありませんでした。毎日の営みの中で米づくりを中心におきながらも、家畜かちくを飼い、裏山うらやまから肥料となる枯れ葉か はを集め、ときどきドジョウやフナをとるなど、じつにさまざまな営みの中でおこなわれたものでした。また、田植えのときには若いわか 女性が晴れ着を着て早苗さなえを植え、近所の人が助けあって田植えや稲刈りいねか をするという社会の営みでもありました。そして先祖から引き継いひ つ だ土地に祈りいの をささげ、収穫しゅうかく物に感謝をささげるという心に支えられたものだったはずです。それは工場で米という名の製品をつくるのとはほど遠い営みでした。
 しかし、この土木工事はそのようなことをすべて無視むししたものでした。そのことの意味の深さをわたしたちは考えつづけなければならないと思います。

高槻たかつき成紀『野生動物と共存きょうぞんできるか――保全生態学入門』(岩波ジュニア新書))
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