1赤字その他の理由で姿を消した鉄道線路は、これまで数多くあるが、私が夢の中でもいいからもう一度乗りたいと願っているものに岡山県の小私鉄、西大寺鉄道がある。
岡山市の有名な後楽園のそばから西へ向かって、お寺の門前町、西大寺まで、たった一一・四キロ。2左右の線路の間隔は九一センチ四ミリという日本ではめずらしい狭軌である。明治十四年開業当時は西大寺軌道と名乗っていたが、大正三年以来鉄道となり、戦後両備バス会社と合併、昭和三十七年鉄道線が廃止となった。3私が乗ったのは戦後のことで、もう蒸気機関車はいなくてディーゼル車であった。後楽園を出て間もなく、百けん川を横切るのだが、ここがおもしろいのだ。
百けん川は岡山市内を流れる旭川の放水路であって、ふだんは左右の堤防にはさまれた広い河川敷には水は全然流れていない。4ほとんどが畑として利用されている。上流で大雨が降り、市内に洪水の危険がせまったときだけ、こちらに水を流すのである。平常は何の役にも立たぬ余計者のように見え、非常の時だけその真価が認められる。5普通、鉄道が川を横切る時は、堤防の高さまで上がり、橋で川を渡る。JRの山陽本線も新幹線も、もちろんこのようにして百けん川を渡っている。ところが西大寺鉄道はちがう。堤防の一部を切りとり、河原にじかに線路をしいているのだ。
6めったに水の流れない川に橋をかけるのは、金のむだづかいである。非常の際には切りとった土手を頑丈な扉でふさげばよい。線路の一部は流されるかもしれないが、水が引いた後またしき直せばよい。バカな、と笑う人もいよう。7私も最初のうち、なんてみみっちい、と笑っていたが、次第に考えが変わってきた。
鉄道建設は確かに人間のちえである科学技術による自然の征服、おさえこみである。技術が進めば進むほどそのおさえこみ方が強引になってきた。8かつては自然の障害物(例えば高い山や深い谷)があれば、線路の方がまわり道をしたり、坂で上り下りして――つまり、自然との妥協によって問題を解決していたのだが、それ
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