a 長文 5.1週 ha2
 僕たちぼく  は人間として生きてゆく途中とちゅうで、子供こども子供こどもなりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会う。もちろん、それはだれにとっても、決して望ましいことではない。しかしこうして悲しいことや、つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、僕たちぼく  は、本来人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。
 心に感じる苦しみやいたさだけではない。からだにじかに感じるいたさや苦しさというものが、やはり、同じような意味をもっている。健康で、からだになんの故障こしょうも感じなければ、僕たちぼく  は、心臓しんぞうとか胃とか腸とか、いろいろな内臓ないぞうがからだの中にあって、平生大事な役割やくわりをつとめていてくれるのに、それをほとんど忘れわす 暮らしく  ている。ところが、からだに故障こしょうが出来て、動悸どうきがはげしくなるとか、おなかが痛みいた 出すとかすると、はじめて僕たちぼく  は、自分の内臓ないぞうのことを考え、からだに故障こしょうの出来たことを知る。からだに痛みいた を感じたり、苦しくなったりするのは故障こしょうが出来たからだけれど、逆に、僕たちぼく  がそれに気づくのは、苦痛くつうのおかげなのだ。
 苦痛くつうを感じ、それによってからだの故障こしょうを知るということは、からだが正常な状態にいないということを、苦痛くつう僕たちぼく  に知らせてくれるということだ。もし、からだに故障こしょうが出来ているのに、なんにも苦痛くつうがないとしたら、僕たちぼく  はそのことに気づかないで、場合によっては、命をも失ってしまうかも知れない。だからからだの痛みいた は、だれだって御免ごめんこうむりたいものに相違そういないけれど、この意味では、僕たちぼく  にとってありがたいもの、なくてはならないものなんだ。それによって僕たちぼく  は、自分のからだに故障こしょうの生じたことを知り、同時にまた、人間のからだが、本来どういう状態にあるのが本当か。そのこともはっきりと知る。
 同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちぼく  に知らせてくれるものだ。そして僕たちぼく  は、その苦痛くつうのおかげで、人間が本来ど
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ういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕らえると   ことが出来る。

吉野よしの源三郎げんざぶろう『君たちはどう生きるか』より)
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