1「ガッツがある」とか「根性が足りない」とかいった言葉をよく耳にしますが、私は、どうも好きになれません。そもそも〃guts〃なんて、「臓物」という意味だし、この言葉の音が汚いのも、嫌いな理由の一つです。2根性も、本来の仏教語では、「草木の根にたとえられる人間の性質」のことですが、現在では違った意味に使われるので嫌な言葉の一つになりました。
ものごとを一所懸命にやることは本当に大切なことです。ただ、目を血走らせ、ムキになった、むきだしの表情を、私は好まないのです。3闘志は表面に出さず、内に秘めておくもの、これが私の美意識だからです。
「一心不乱」はすばらしいのですが、「盲目的ないちず」が困るのです。いつも「主人公」が目覚めていなくては、お話になりません。そのためにも、そこに「遊び」が必要ではないでしょうか。4つまり、余裕です。「遊び」には、大事な意味がいくつかあります。たとえば、肝心なのは、「自分のしたいこと」を「楽しむこと」です。いわば、自分の好きなことをして「楽しむ」のです。それに、「機械の遊び」という場合の「遊び」のような「余裕」「余地」、「遊びの時間」のような「ひま」が大切です。
5自動車のハンドルにも、「遊び」があります。あの遊びがなかったら、ずいぶん運転しにくくなるでしょうし、第一、危険です。ハンドルに遊びがあるので、少しばかり手がすべっても、急に変な方向へ曲がらないですむのです。6人生という車にも、この「余裕」「ひま」という遊びがないと危険です。
子供たちの天職は、遊ぶことです。たっぷり遊ぶのが役目です。しかし、部活だの、塾通いだの、受験勉強だの、すべて強制、半強制のわくの中で、せかせかした生活をしています。7小学校、中学校、高等学校を、このように過ごさざるを得なかった学生たちを見ていると、私は、一大学教師として、もの悲しさで一杯になるのです。
私どものところでは、学生たちは、二年に進むとき、自分の専攻したいコースを選びます。8その際、英米文学コースを志望す
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