1読書の楽しみは一人でできる楽しみです。碁を打つには相手がいる。野球を楽しむには自分の他に少なくとも十七人の賛同者が必要でしょう。そういう楽しみは、いつでもどこでも、というわけにはゆきません。2道具や、設備や、場合によっては途方もなく広い場所がなければ、どうにもならない。読書の方は、設備も要らず、どこかへ出かけるにも及ばず、相手と相談もせず、気の向くままにいつでもどこでもできます。3蛍の光窓の雪というのは、貧富の差が大きく、灯火用の油の値段が高すぎたむかしの話です。今は電気がいたるところにあるので、誰でも、望めば昼となく夜となく好きな本を読むことができるでしょう。こんな便利な娯楽はめったにありません。
4しかも、当方の体力とはほとんど関係がない。老人子供、病人でも、多くの場合には、それぞれ読んで楽しめます。疲れているときでも、易しい疲れない本を選びさえすればよい。しかもカネがかからない。5本が高くなったといっても、どこかの「ファミリー・レストラン」で二、三度食事をする値段で、大抵の本は買えます。それでも買えないほど高い本は、公共図書館にあり、そこから借りればタダですむでしょう。こんなに安くて便利な楽しみを知らぬ人がいるとすれば、その気の毒な人に同情しなければなりません。
6「オーディオ・ヴィジュアル」の情報が、活字情報を駆逐する(追いはらう)時代が来た、という人がいます。「ヴィジュアル」とは感覚的ということで、たとえば肖像写真が一人の男または女の顔を示すのは「ヴィジュアル」な情報です。7しかしその他の誰とも違う顔の特徴を言葉であらわすのは容易なことではありません。肖像写真は、活字の何十ページ、いや、おそらく何百、何千ページに相当する情報を一挙に伝えることができます。8しかしその男または女が、昨日はソバを食べた、明日はウドンを食べるだろう、という活字の一行に相当する情報を伝えることはできません。肖像写真は人物の顔の現在であって、過去も、未来も、表現できない。9「ヴィジュアル」な情報と言葉による情報(そのひとつが活字情報)とは、互いに他を補うので、一方が他方を駆逐するので
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