1里山を歩いていると何人ものハイカーとすれちがいます。それぞれの人は何かの楽しみを求めて里山を訪れているのです。遠い故郷のかわりに、ダイエットのため、おいしい空気を吸うため、写真をとったりスケッチをするため、バードウォッチングのため、つりのため、などさまざまでしょう。2それぞれの目的を気持ちよく、楽しく達成させてくれるのが里山の景観であり、それを構成する野生生物を中心とした自然です。
奥武蔵の里山を訪れたときのことです。秋の終わりで道ばたの草もほとんど枯れていました。3せまい谷間に農家が点々とあり、だんだん畑がきれいに整備されています。雑木林やスギ林もきれいに手入れされています。たいへん美しい景観です。しかし、村のあちこちに立てられた看板が目ざわりです。4看板には、「駐車禁止」とか「ゴミを捨てるな」とか、「私有地につき立ち入り禁止」とか、「山野草の花をつむな」とか、そして「山野草の採集は窃盗罪」とまで書いてあります。何か殺伐としています。里山をきれいに維持している村の人びとにとって、ハイカーのマナーの悪さは目にあまるのでしょう。
(中略)
5今、美しく維持されている里山は、必要なてまひまをすべて山里の人びとの善意に負っています。たまに訪れる私のようなハイカーが里山を楽しむとき、山里の人びとの善意にただあまえているだけです。また、里山には治山、治水という機能があります。6山が荒れて土砂を川に流しこみ、中流や下流に水害をおこさせないようにするはたらきです。おいしい水を川へゆっくり供給するという機能もあります。
私は、里山を私有財産という枠組みのなかだけで考えていたのでは守れないと思います。7都市に暮らす人びとが、大切な里山を維持してもらえるように山里の人びとに対して相応の負担をするべきではないかと考えています。それは金銭的な補助もあるでしょうが、人手が不足している里山で下草刈りなどの世話をするボランティア活動であってもいいと思います。8里山は人間によってつくら
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