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 里山を歩いていると何人ものハイカーとすれちがいます。それぞれの人は何かの楽しみを求めて里山を訪れおとず ているのです。遠い故郷こきょうのかわりに、ダイエットのため、おいしい空気を吸うす ため、写真をとったりスケッチをするため、バードウォッチングのため、つりのため、などさまざまでしょう。それぞれの目的を気持ちよく、楽しく達成させてくれるのが里山の景観であり、それを構成する野生生物を中心とした自然です。
 おく武蔵むさしの里山を訪れおとず たときのことです。秋の終わりで道ばたの草もほとんど枯れか ていました。せまい谷間に農家が点々とあり、だんだん畑がきれいに整備されています。雑木林やスギ林もきれいに手入れされています。たいへん美しい景観です。しかし、村のあちこちに立てられた看板かんばんが目ざわりです。看板かんばんには、「駐車ちゅうしゃ禁止」とか「ゴミを捨てるす  な」とか、「私有地しゆうちにつき立ち入り禁止」とか、「山野草の花をつむな」とか、そして「山野草の採集は窃盗せっとう罪」とまで書いてあります。何か殺伐とさつばつ しています。里山をきれいに維持いじしている村の人びとにとって、ハイカーのマナーの悪さは目にあまるのでしょう。
(中略)
 今、美しく維持いじされている里山は、必要なてまひまをすべて山里の人びとの善意ぜんいに負っています。たまに訪れるおとず  わたしのようなハイカーが里山を楽しむとき、山里の人びとの善意ぜんいにただあまえているだけです。また、里山には治山、治水という機能があります。山が荒れあ 土砂どしゃを川に流しこみ、中流や下流に水害をおこさせないようにするはたらきです。おいしい水を川へゆっくり供給きょうきゅうするという機能もあります。
 わたしは、里山を私有しゆう財産という枠組みわくぐ のなかだけで考えていたのでは守れないと思います。都市に暮らすく  人びとが、大切な里山を維持いじしてもらえるように山里の人びとに対して相応の負担ふたんをするべきではないかと考えています。それは金銭的な補助ほじょもあるでしょうが、人手が不足している里山で下草刈りくさか などの世話をするボランティア活動であってもいいと思います。里山は人間によってつくら
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れ、維持いじされてきた自然だということを考えると、都市の人びとがここを訪れおとず て仕事をする後者のほうがよいと思いますが。これに行政側が資金的な援助えんじょをすればよいのです。
 早春になると里山のウグイスは町までおりてきます。このころには立派りっぱに「ホーホケキョッ」とさえずることができるようになっています。すこし前まで東京の町でもウグイスのさえずりをたくさんきくことができました。最近では都会のウグイスが少なくなってきたような気がします。都会の緑が少なくなってきたことが原因でしょう。それに、緑があっても、かなりとびとびになってしまったことも関係します。ウグイスはしげみを好む野鳥だからです。鳥ですから空をとべますが、体をむきだしにするのは不安なのでしょう。これでは都会にやってくることはできません。
 雑木林に生活する野生動物たちのなかには一生をそこで終えるものもいますが、一時期だけ訪れるおとず  ものもいます。一日の間にある雑木林から別の雑木林へと移動しながら食べ物を食べるサルのような動物もいます。里山と平地を行ったり来たりするウグイスのような動物もたくさんいます。開発が進む里山では、新しい道路がつくられ、野生動物たちが訪れるおとず  林が分断されることが多くなりました。このため、里山の野生動物の交通事故がめだってふえているようです。「シカに注意」とか、「タヌキに注意」といった道路標識を見かけることが多くなっています。これまたとうぜんですが、シカやタヌキにはこの道路標識は読めません。人間の側の注意と配慮はいりょがもっと必要です。野生動物たちにとっていちばんいいのは緑のコリドー(回廊かいろう)です。野生動物の体をかくしてくれる緑の廊下ろうかです。緑のコリドーとは人間が立ち入らないことにします。野生動物たちは安心して緑のコリドーを伝わって移動できます。工事費が多少高くついても、道路の一部を地面より下のトンネルなどにして緑のコリドーをつくる工夫が必要でしょう。

 (山岡やまおか寛人ひろと『自然保護は何を保護するのか』
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