二十年ぐらい前から、私は読書日記をつけています。それを見ますと、これまでに感銘を受けた本は、四書五経をはじめとして枚挙のいとまがありません。
その中で一冊を挙げるとすれば、クリスチャンである私は聖書としたいところです。が、あえて推薦したいのは、家内と私が共に感銘を受けた遠藤周作の『沈黙』です。
“沈黙”といえば、キリスト教徒は、即座に十字架上のキリストを思い出します。キリストは「何ぞ我を見捨てたもうや」と叫びますが、ついに神の救いは現れません。これを神の“沈黙”といっています。
実は、私は若いころからこの“沈黙”に関して疑問を持っていました。その赤裸々で根源的な疑問に人間味のある答えを出してくれたのが、遠藤周作の『沈黙』だったのです。
昭和四十七年に、私は住友銀行のロンドン支店に赴任しました。イギリスで、私は宗教上の悩みを抱えるようになったのです。英国の歴史を遡(さかのぼ)ると、宗教への疑問は増すばかりでした。
一つは、女狂いで有名な国王へンリー八世です。彼は宗教上離婚が認められないということで、七人のお妃を次々と殺害して結婚を重ねたといわれています。彼のお城には、七人のお妃のドレスが今でも物悲しく陳列されていますが、彼はカトリック信者でありながら、なぜか罪を問われなかった。
さらには、宗教上の対立が激しい、北アイルランド問題があります。私自身、駐在中に「汝の敵を愛せよ」といっているカトリックとプロテスタントが互いに刃を向け合っている事実を目のあたりにしました。次第に、私の中には「神は果たして人間を救ってくれるものだろうか」という思いが頭をもたげてきたのです。そうした問題と相まって、“沈黙”についても疑問は深まるばかりでした。そんなとき、タイトルに引かれてふと手にしたのが『沈黙』です。読むと、まさに目から鱗が落ちる思いでした。
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