よく、教え方がよければ、子供の能力は伸びる、といわれる。だが、伸びるのはその子の持って生まれた能力に応じた学力である。ただし、先に述べたように、伸び方に限りがあるが……。早い話、有名受験塾がなぜ入塾テストを実施しているとお思いだろうか。素質のない子をいくら教えても、有名中学入試の高いハードルを越えさせられないからである。
どうして、この種の情報がきちんと示されないのか。オフレコの約束で(ほとんどの関係者がそうだった)「知能指数と学力は大いに関連がある」と認めた何人かの教育学者に、「教育改革の柱にいつも入試改革が掲げられるのは教育力に対する幻想があるからだ。それを打ち砕くためにも、その意見を公にしたほうがよい」と迫ったことがある。いずれの学者の答えも同工異曲だった。
「そんなことをしたら、学界で袋叩きにあいますよ。科学的に証明するのはかなり難しいですし」
また、文部官僚の多くはこういう表現をした。
「それをいっちゃおしまいですよ」
教育力が大きく見えたほうが都合がいい。国民が聞きたくないことをあえて声高にいう必要もないではないか、というわけだ。
しかし、こんなことは専門家の言を待つ必要もない。われわれ自身の学校生活を振り返れば思い当たることである。
それなのに、親たちは受験産業の「学習能力は伸びる」というかけ声に踊らされて、子供を遊ばせるべき時期に塾に通わせる。有名中には入れなくても、公立中に行けるのだから落ちてもともと、などと思うなかれ。その子の失ったものは大きい。傷ついたプライドを癒すのは大人でも大変な作業だ。運よく合格したとしても、その学校生活は、それまでに払った犠牲に見合うものといえるのかどうか。
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