a 長文 7.3週 1i
 孟子もうしは、孔子こうしより遅れおく てこの世に生をうけた中国古代の思想家だが、かれに、
忍びしの ざるのこころ」
という考えがある。忍びしの ざるのこころというのは、
「他人の不幸や悲しみを、そのままみるに忍びしの ないこころ」
をいう。
 たとえば、川のほとりを歩いている時に、車椅子くるまいすの人や老人や、あるいは小さな子供がいましも落ちかかっている光景を目にしたとする。通りかかった人は、普通ふつうの人間ならすべて、
忍びしの ざるのこころ」
を持っているから、すぐ、
「助けなければ」
と思って走り出す。そのときためらって、
「助けなかったらだれかにあとから批判されるだろうか。それとも助けたら、家族がお礼に何かくれるだろうか」
などというさもしいことは考えない。無計算で駆け出しか だ ていく。それが孟子もうしの、
忍びしの ざるのこころ」
である。
 しかし、孟子もうしはこの忍びしの ざるのこころについてこういうことをいう。
忍びしの ざるのこころは、人間がつねに持たなければいけないから、これを恒心こうしんと名づけよう。しかしこの恒心こうしんも、あるものがなければ保てない。あるものとは恒産こうさんをいう」
 と説明して、有名な
恒産こうさんなければ恒心こうしんなし」
といいきった。
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 いまリストラにあって、
「おまえはあしたから、会社にこなくていい。自宅待機だ」
といわれたとする。そのビジネスマンの子供が、春から私立の大学に行っている。学費が高い。これをどうするか。また、家を建てたローンが終わっていない。返済計画には、本給だけではなく時間外勤務手当や旅費や、ボーナスなどの雑給もすべてぶちこんできた。自宅勤務になると、これらのものも支給されないという。
「いったいおれと家族は、どうやって生きていけばいいんだ?」
というような、切実な悩みなや 襲わおそ れている人間に、
「おまえは少し、忍びしの ざるのこころが足りないぞ。もっと他人の悲しみや苦労に同情しろ」
というのは、いうほうが無理だ。
 いまから二千数百年前に、孟子もうしはこういう人情の機微きびをすでにいい当てているのだ。

 (月刊「知」童門冬二氏の文章より)
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