孟子は、孔子より遅れてこの世に生をうけた中国古代の思想家だが、かれに、
「忍びざるのこころ」
という考えがある。忍びざるのこころというのは、
「他人の不幸や悲しみを、そのままみるに忍びないこころ」
をいう。
たとえば、川のほとりを歩いている時に、車椅子の人や老人や、あるいは小さな子供がいましも落ちかかっている光景を目にしたとする。通りかかった人は、普通の人間ならすべて、
「忍びざるのこころ」
を持っているから、すぐ、
「助けなければ」
と思って走り出す。そのときためらって、
「助けなかったら誰かにあとから批判されるだろうか。それとも助けたら、家族がお礼に何かくれるだろうか」
などというさもしいことは考えない。無計算で駆け出していく。それが孟子の、
「忍びざるのこころ」
である。
しかし、孟子はこの忍びざるのこころについてこういうことをいう。
「忍びざるのこころは、人間がつねに持たなければいけないから、これを恒心と名づけよう。しかしこの恒心も、あるものがなければ保てない。あるものとは恒産をいう」
と説明して、有名な
「恒産なければ恒心なし」
といいきった。
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