経済の原点である産業構造は時代とともに変化する。日本の場合、第二次大戦後の混乱期が終わってどうやら経済が成長に移りはじめた一九五二年頃の最大の産業は農業であって、その規模は十六・二%のシェアを占めていた。これに対して、製造業は一四・五%であった。だからその頃の日本は農業国であったわけである。それ以降日本では急速に製造業の規模が拡大していって、年度にもよるが三〇%前後のレベルにまで成長した。一方、農業は二・二%に減少している。この間各産業の就業人口の数ももちろん変化した。
このように日本の経済では製造業が牽引力になってきたことは確かだが、産業別に見ると、その中には急速に成長したものもあれば衰退していったものもある。アルミ精錬は一時アメリカに次ぐ世界第二の規模であったが、二度のオイルショックによる電力料金の高騰によって、自家水力発電によるもの以外は姿を消した。
経済の原点である産業構造は時代とともに当然変化していく。日本の場合、第二次大戦後、政府はまず経済を建て直すために基幹産業として石炭、造船、続いて鉄鋼といったものを選んだ。そのなかには、実はアルミ精錬も入っていたのである。
ところが、時代とともに技術は変わっていく。たとえば、日本の家電産業というのは世界のトップを走っているけれど、戦後間もなくはラジオを主につくっていた。これは戦争で破壊され尽くした日本の家庭の中で、まずその頃の最も近代的なメディアはラジオであったからである。しかし、ラジオは普及し終わる。
次に出てきたのは白黒テレビである。白黒テレビがひとわたり行き渡ったところでカラーテレビが出てくる。カラーテレビはかなり長く続いたが、それでもやがて普及が行き渡る。その次に引き続いて出てきたのはビデオである。そして、その次にビデオカメラ、こういった調子で日本の家電メーカーは主力商品を次から次へと移してきている。これを大雑把にいうと、一〇年で新しい商品と入れ代わっているということを読み取ることができるのである。
|