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 江戸えど時代じだいは、戦争せんそう多かっおお  当時とうじのヨーロッパとはちがい、犯罪はんざい少ないすく  平和へいわ時代じだいでした。だい都会とかい江戸えどで二ひゃくねん以上いじょうもお風呂ふろさんの料金りょうきん変わらか  ないという、とても安定あんていした時代じだいだったのです。
 多くおお ひとが、長屋ながやというせまいいえをよせあって暮らしく  ていましたが、ぜいたくを言わい なければ食べ物た もの充分じゅうぶんにあり、貧しくまず  ともこころ豊かゆた 生きるい  ことができる時代じだいでした。そこでいろいろな庶民しょみん文化ぶんか生まれう  育っそだ ていきました。なかでも園芸えんげいはとてもさかんでした。
 広いひろ にわはなくても、鉢植えはちう 植物しょくぶつならだれでも楽しむたの  ことができます。たくさんの人々ひとびと鉢物はちもののおもしろさに熱中ねっちゅうし、やがてそれぞれの時代じだい流行りゅうこう生まれう  ました。カラタチの小さなちい  鉢植えはちう 一つに、いま言えい すうおくえん値段ねだんがついたこともあったということですから、その熱中ねっちゅう度合どあいがよくわかります。
 ところで、江戸えど時代じだいにはまだ電灯でんとうがなくよる早くはや たので、多くおお ひと早起きはやお でした。そこで早起きはやお 美しくうつく  られるはな、アサガオが親しました  れ、だい流行りゅうこうしました。江戸えど時代じだい以前いぜんには、アサガオは淡いあわ 青色あおいろのものだけで、みちのすみなどに咲いさ ている地味じみはなでした。それが江戸えど時代じだい後期こうきになると、はな実にじつ さまざまな変わっか  種類しゅるいのものが栽培さいばいされるようになりました。カラーで印刷いんさつされたアサガオの専門せんもんしょまでなんさつ出さだ れました。町中まちなかでは、天秤棒てんびんぼうをかついだ植木うえき売りう 歩いある ている姿すがたがよくられました。アサガオの優劣ゆうれつ競うきそ はな合わせあ  、コンクールもさかんに行わおこな れ、お寺 てら神社じんじゃ境内けいだいなどには、自慢じまん珍しいめずら  鉢植えはちう がたくさん持ち寄らも よ れました。
 アサガオはいろかたち変化へんかしやすい植物しょくぶつなので、いろいろなものが作らつく れました。当時とうじのカラーのほんなかに、濃いこ 黄色きいろのアサガオがあります。濃いこ 黄色きいろのアサガオを咲かせるさ   ことは、現代げんだい技術ぎじゅつでもまだできていません。
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 はないろかたちだけでなく、はな合っあ かたちのものが珍重ちんちょうされました。中でもなか  好まこの れたのが牡丹ぼたんきと言わい れるもので、これは雄しべお  雌しべめ  までが花びらはな  同じおな ようないろかたちになったものです。しかし、苦労くろう重ねかさ すえ、やっと満足まんぞくのいくいろかたちのものができても、変化へんか進んすす はなほどたねができないのが普通ふつうです。牡丹ぼたんきのものは、たねをつくるのに必要ひつよう雄しべお  雌しべめ  までが変化へんかしたものになっているのでなおさらです。そこで、牡丹ぼたんきのはな同じおな おや持つも 兄弟きょうだい普通ふつう咲いさ はなからたねをとり、そのたねから出しだ たものからまた牡丹ぼたんきのものを選ぶえら という、遠くとお なるような手間てまをかけて、新しいあたら  品種ひんしゅ作っつく ていったのです。
 こんなに手間てまのかかることでは、「アサガオ」そいひとには、とてもできなかったでしょう。

 言葉ことばもりちょうぶん作成さくせい委員いいんかい α
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