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ヒントの池(解説集)ウェブ版 /印刷版 /最新版 /編集(修正・削除)/ 明細/ レンギョウ の池

構成図の書き方  (157字) 森川林  nane  00-00 00:00  re  01. 1週 1939 
 構成用紙は、構成図の書き方に慣れるために使います。構成用紙を使わずに、白紙に自由に構成図を書いてもかまいません。
構成用紙を使って構成図を書きます。 頭の中にあるものをそのまま書くとき。 構成図で書くとき。
初めに絵をかきます。(絵はどこにかいてもいいです) 思いついた短文を書きます。(どこから始めてもいいです) 思いついたことを矢印でつなげていきます。
関係なさそうなことでも自由にどんどん書きます。 枠からはみだしてもかまいません。全部うまったらできあがり。
 


 中3 1.1週のヒント ●内申点  (675字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 1週 1048 
 第一段落は、身近な実例。「人間は、普段から真面目にこつこつやっておき、いざというときに余裕を持って対処できるように生きていくべきだ。」又は「人間は、ふだんはのんびりやっておき、いざというときに全力を出せるように生きていくべきだ。」

 第二段落はその方法。「いざというときに全力を出すために、第一に、ふだんは幅広い教養を身につけるようにしておくことだ。私も、テストのない日はのんびり本を読んだり休んだりして英気を養うようにしている。」

 第三段落は第二の方法。「また、社会の仕組みとして、あまりに早めに細かいところで人間を評価しないようにすることだ。エジソンや信長が、普通の小学生と同じように評価されていたら、ただの落ちこぼれになっていた可能性も高い。(伝記実例)」

 第四段落は反対理解。「確かに、普段からの努力も大切だ。しかし……、『飽きるということも、一つの能力のあらわれである』という言葉がある。普段からこつこつやり過ぎると本番で全力を出せないこともある。だから……。」
 


●内申点、本当の豊かさ  (232字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 1週 599 
 公立の中学では、中学での成績や態度が高校入試の参考になります。大学入試でも、高校での成績を参考に推薦を決めるところが多数あります。本番の試験だけでの一発勝負の方が公平だと考える人もいますし、ふだんこつこつ努力してきた人を評価すべきだと考える人もいます。内申点の是非を自分の生き方に結びつけて考えてみましょう。

○There is an old saying  (1348字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 2週 601 
 次の古いことわざがある。「人に魚を与えれば、その人に今日の分の食事を与えたことになる。人に魚を獲ることを教えれば、その人に一生分の食事を与えたことになる」しかし今日、このことわざは、もはや真実でないかもしれない。その理由は、魚の乱獲である。
 フィリピンでは、明かりをつけて操業することは違法であるが、その法はしばしば無視される。それが魚を獲るためのより良い方法だからだ。南ンナ海では、魚が非常に獲れにくくなってきた。
 漁船は、20分の距離にある市場に魚を運ぶ。そこでは、たくさんのほかの種類の魚と一緒に、新鮮なマグロを買うことができる。市場は、毎朝午前6時30分に開く。何年か前は、市場は10時か11時まで開いていた。現在では、8時前に魚が売り切れてしまう。魚の多くはとても小さい。人があまり食用としない種類もある。ある業者は、魚をあきらめ、代わりに鶏を売っている。
 乱獲の問題は広がってきている。魚を獲ることはだれにもできるので、多くの人が魚を獲る。世界中で、漁師や魚の養殖業者の数が増えてきている。その総数はこの25年間で、倍以上になった。
 しかし乱獲は、漁師だけの責任ではない。政府は魚を獲る人々にお金を払う。最近の調査によれば、これらの支払い金額は年に16億ドルにもなる。
 自由に操業できる水域があり、政府が補助金を出してくれるので、漁師は増えすぎた。世界の漁船の53%は必要ないと見積もっている科学者もいる。
 最後に、乱獲にはもう一つの原因がある。それは科学技術が向上したことである。貧しい国の多くは大きな漁船をもっていない。しかし、豊かな国がそれらの国々に漁船を贈る。これらの漁船には、新しいエンジン、衛星による航行装置、それにコンピュータが搭載されている。そして、科学技術というものは、常に向上し続ける。科学技術が向上すれば、より多くの魚を獲ることがますます簡単になる。
 おそらく、人々に魚を獲ることを教える時代は終わったのだろう。漁師が多すぎて、獲られる魚が多すぎる。私たちは、食べられる魚がいなくなる前に、この問題の新しい解決策を見つけなくてはならない。

中3 1.2週のヒント ●農業は、きわめて恣意的な営みで(感)  (911字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 2週 1058 

 第一段落は要約。続けて生き方の主題の意見。「私は自然に対して謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。」
 
 第二段落は、方法1と体験実例。「そのためには、第一に、自然の恐ろしさを認識することである。」体験実例は、人から聞いた話、テレビで見た話などでもいいです。
 植物や動物を育てたことのある人は、生き物の不思議な力に驚いたことがあるでしょう。人間ができるのは、水をやったり餌をやったりすることだけで、人間の科学の力ではまだ光合成の仕組みの真似をすることさえもできません。
 
 第三段落は、方法2と伝記実例。「そのためには、第二に、幼いころからもっと自然に親しめるような機会をふやしていくことである。伝記によると、ファーブルは幼いころから虫が好きで、時間が経つのも忘れ、草むらにしゃがんで虫の観察をしていたらしい。ファーブルのように幼いころから自然に親しみ、自然を知ることができれば自然に対して謙虚な気持ちを持ち続けることができるのではないだろうか。」
 
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、ときには人間が自然を管理することも必要だ。しかし、「寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。」という名言もあるように、私は自然に対する謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。」生き方という言葉は括弧書きで書いてもいいです。例えば、「自然に対して謙虚な気持ちを持ち続けたい(生き方)」など。
 
 

●農業は、きわめて恣意的な営みで(感)  (471字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 2週 602 
 内容:農業は自然界にある植物を人間の管理下におこうとする営みである。しかし、人間はまだ自然を十分にコントロールできていない。自然の合意を得られた分をいただくぐらいしかできないのである。

 解説:登山家も初心者のころは、「今度はエベレストを征服するぞ」などと言うそうですが、だんだん年期を積んでくると、征服するなどというおこがましいことは言えなくなるそうです。人間が自然を加工して住みよい世界を作ってきたことは確かですが、まだ自然には人間の知恵を大きく超えたものがあります。自然に対しては、もっと謙虚に、そして気長に取り組んでいくことが大切なのでしょう。最近のバイオテクノロジーの話などと関連させて考えることもできそうです。

○Once when I was a teenager  (1394字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 3週 603 
 私がティーンエイジャー(=13歳〜19歳)だったころのこと、父と私はサーカスの入場券を買うために並んで立っていた。やっと、私たちと券売所の間にいるのが1組の家族連れだけになった。この家族に私は強い印象を受けた。8人の子どもがいたが、全員が12歳未満に思われた。私には、彼らがあまり裕福ではないことがわかった。彼らの服は高価なものではなかったが、清潔だった。子どもたちはおとなしく手をつないで、両親の後ろに2人ずつ並んで立っていた。子どもたちは興奮していた。彼らは、その夜目にするであろう道化師や象やそのほかの出し物のことを話していた。私には、その子どもたちが生まれて初めてサーカスに来たのだと(容易に)想像できた。
 その興奮した一団の先頭に父親と母親がいた。母親は夫の手を握りしめ、彼の顔を見上げていた。父親はほほ笑みながら、誇らしげに妻を見つめていた。2人とも幸せそうに見えた。
 特売所の女性が父親に言った。「お客様、券は何枚でしょうか?」
 彼は堂々と答えた。「子ども8枚と大人2枚、お願いします。」
 券売所の女性がその値段を言った。
 母親がうなだれた。父親の唇が震え出した。彼は券売所の女性にさらに近付いて、「いくらと言ったのですか?」と尋ねた。
 彼女はもう一度その値段を繰り返した。
 この男性は十分なお金を持っていなかったのだ。
 ことの成り行きを見ていた私の父が、ポケットに手を入れて20ドル札を1枚取り出すと、それを地面に落とした。それから、かがんでその札を拾い上げ、男性の肩を叩いてこう言った。「失礼ですが、これがあなたのポケットから落ちましたよ」
 男性はことの成り行き(=父の意図)を悟った。彼は父にお金をくださいと口に出して頼みはしなかったが、間違いなく父の援助に感謝をしていた。彼は父の目をまっすぐ見つめ、その手を両手で握りしめて、20ドル札を受け取った。男性の唇が震え、頬に涙が伝った。彼は言った。「ありがとうございます。ありがとうございます。これは私と家族の者にとって本当にありがたいものです」
 父と私は車に戻って、家へ帰った。その夜、私たちはサーカスには行けなかったが、それでも満ち足りた気持ちだった。

●われわれ自身は必ずしも意識して(感)  (414字) よう  mae  02-06 23:38  re  01. 3週 1981 
 「海外の人と積極的に交流することで、広い視野を身につける」というところでの伝記実例。
 江戸時代、遭難したことによって、偶然アメリカに渡ったジョン万次郎は、初めて世界地図を目にして日本の小ささに驚いたと言われています。彼は、英語だけでなく、民主主義や男女平等の考え方までも学んだそうです。その頃の日本人には考えられないことですね。
 日本に帰ったジョン万次郎は、坂本龍馬にも強い影響を与えたと言われています。まさに、幕末の陰の立て役者。彼が積極的にアメリカの考え方を学んだことで、広い視野で物事を考えられるようになったのは言うまでもないことですね。

中3 1.3週のヒント ●われわれ自身は必ずしも意識して(感)  (942字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 3週 1069 
 
 第一段落は、要約と意見。「言葉の背後には、その言語圏の文化がある。日本語を使うとき、私たちは自然と日本的な文化を通して物事を見ることになる。そのことを深く自覚していく必要がある。例えば、日本には「『これはつまらないものですが』という言い方がある。謙虚なことはいいことだが、もっと自分に自信を持った生き方をしていきたい。」
 
 第二段落は、そのための方法。「そのためには、第一に、失敗や批判を恐れないことだ。謙虚さの背後には、批判を恐れる気持ちがある。何事に対しても、私は全力でがんばったと言えるようにしていきたい。」
 
 第三段落は、方法2。「また、もう一つには、積極的に海外の人と交流する中で、日本文化の狭い枠にとらわれない考え方を身につけていくことだ。伝記によれば、福沢諭吉は、学校の中での生徒の先生に対する形式ばったあいさつを省略するなど、合理的な考えを持っていた。これも書物を通して外国の物の見方に触れたからであろう。」
 
 第四段落は、反対理解と意見。「確かに、それぞれの文化の個性を守ることは大事だ。しかし、それが無自覚に行われているのであってはならない。『自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう』という言葉がある。日本の文化の中で生きていると、自然に日本的な考えが当たり前だと思ってしまう。もっと大きな視野で自分を見直すことが必要である。」
 
 

●われわれ自身は必ずしも意識して(感)  (879字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  01. 3週 605 
 内容:ひとつの言語を習得して身につけるということは、その言語圏の文化の価値体系を身につけることである。しかし、われわれはそれに必ずしも気づいていない。

 解説:「スミマセン」という言葉は、よく使われます。「ありがとう」と「ごめんなさい」の二つのニュアンスが合体した表現というのはどこでも使えて便利ですね。「これ、やっといてあげたよ」「あ、すいません」。「このプレゼント、君にあげよう」「あ、すいません」。「ところで、煙草、すうかい」「あ、すいません」「どっちだ」なんてね。

 こういう「スミマセン」というような言葉を使って暮らしていると、だんだん、周りの人に迷惑をかけないように謙虚に控えめに生きていくのが美徳だという日本的な価値観を知らず知らずに身につけていくのかもしれません。似たような表現に、「これ、つまらないものですが…」というのもありますね。

 「どうも、どうも。いやあ、ちょっとそこまで」なども日本的な表現で、この言葉を使っていると、あいまいにお茶を濁しておくのが立派な大人で、白黒をはっきりさせるのは野暮だという気になってくるでしょう。

 自分の使っている言葉がどういう価値観に基づいているかということはなかなか自覚できませんが、世界には異なる言語=価値観を持っている人がいるのだということを折りに触れて考えてみることが大切なのでしょう。

○A lot of people feel  (2041字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 1週 607 
 多くの人々が、汚染は今日の世界で最も大きな問題の1つだと感じている。しかし、汚染について語るとき、私たちはそれを実際にどういう意味で用いているのだろうか。あるものを汚染するとは、それを汚したり、他の人々や動物にとって危険なものにしたりするということである。もしエンジンオイルを水に流せば、その水を汚染したことになる。だれもその水を飲んだり、その水で体を洗ったりできなくなるのだ。(このように)土壌や海や空気を汚染する人々が世界中にいるのである。
 汚染の主な原因は廃棄物、つまりもはや必要とされない物である。あらゆる物が廃棄物になる可能性がある。それはきのうの新聞や、古い車や、汚れたお風呂の水であるかもしれないし、あるいは工場の煙突から出る煙かもしれない。廃棄物の中には、毒物を含有する危険なものもある。そのような廃棄物は有毒廃棄物と呼ばれるが、今日この有毒廃棄物の問題は、多くの人々、さらに各国の政府を悩ませている。
 生物はすべて廃棄物を作り出すものだが、中でも人間は特別である。世界には60億の人間がいる。その人間すべてが、食べたり、服を着たり、移動したりしなくてはならないのだ。さらに、そのほとんどが家に暖房が必要なのである。人間は物を買ってそれを使い、古くなったら捨ててしまう。今日、私たちは「使い捨て」の世界に生きているのだ。
 農場や工場は、人々が必要とする物を生産する。そうした物が生産される際、(同時に)廃棄物も生み出される。自動車、列車、バス、船、飛行機は、人々を場所から場所へと運ぶ。これらも廃棄物を生み出す。すべての人々は、ただ生きているだけで、廃棄物の問題を増大させてしまうのである。
 ところで、あなたは毎週どれくらいのゴミを捨てているだろうか。もしあなたがロサンゼルスの住民ならば、おそらく毎週21キログラムのゴミを捨てていることだろう。ロンドンのすべての男性、女性、子どもは、(それぞれが)毎週6キログラムのゴミを捨てる。東京の数字(=東京の住民が毎週捨てるゴミの量)は7キログラムである。メキシコ・シティーの人々は、1人当たり3キログラムしか捨てない。ニューヨークのような大都市から出るゴミの山を想像してみるとよい。その量は毎週17万トン(1人当たり13キログラム以上)にもなるのだ!
 このゴミのほとんどか(まだ)有用で価値のある原料である。私たちは、リサイクルすることによって、それらを再利用することができるのだ(リサイクルとは、物を捨てずに再利用することによって、原料や燃料を節約することを意味する)。
 国々の中には、汚染とリサイクルに関する法律が制定されている所もある。そうした国の政府は、環境を汚染する者を処罰する。また、リサイクルに関して国民を啓蒙する努力もしている。その一方で、汚染を取り締まる法律がなく、その政府もリサイクルの奨励を行っていないという国々もある。だからヨーロッパやアメリカ合衆国は、自国の廃棄物を大量にアジアやアフリカや南アメリカの国々へ送るのである。豊かな国々には環境汚染を取り締まる法律がある。多くの貧しい国々にはそうした法律がないのだ――そしてそういう国は、廃棄物を投棄する代金として、豊かな国々がその国に支払うお金を歓迎するのである。

●現代はアイデンティティ不定の(感)  (419字) よう  mae  02-04 23:12  re  02. 1週 1978 
 若者をどんどん重要な役割に登用する、という観点で考える場合、伝記実例では、ちょっと新しいですが、ケネディの例も使えそう。
アメリカ合衆国第35代大統領であるジョン・F・ケネディは、なんと43歳の若さで当選。今の日本では考えられないことです。就任当時、鳩山さんは62歳。麻生さんは68歳。福田さんは、なんと71歳……(^^;)。(昔は、今と比べると若い人が登用されていたようですが。初代総理大臣伊藤博文は44歳の若さで総理大臣になっています)
 政治の世界では43歳というのはまだまだ若手。アメリカには、実力のある人なら年齢を問わず登用すべきという考えが日本よりも強いからでしょう。

 中3 2.1週のヒント ●現代はアイデンティティ不定の(感)  (751字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 1週 1079 
 意見は、いろいろに考えられますが、「社会の中で自分の役割を果たすことによってアイデンティティを持てるような人間になろう」ということで考えると書きやすいでしょう。もっと噛みくだいて言うと、「いつまでも子供でいずに、早く大人になろう」ということです。
 第一段落は、要約と意見。
 第二段落は、方法と体験実例。「そのためには、実際の社会を体験することだ。私も、この前、ボランティア活動を行ったが、自分の役割がみんなから期待されているということは、貴重な体験だった。」
 第三段落は、方法2と伝記実例。「また、社会も、いつまでも若者を子供扱いせず、重要な役割にどんどんつけていくことだ。エジソンは、子供のころから列車の中で新聞を作って売る仕事をするなど、自立心が旺盛だった。それも、そういう自立を促す社会の雰囲気があったからだろう。」
 第四段落は、反対理解と名言の引用と意見。「確かに、世の中が複雑になると、子供という期間が長くなる傾向はある。しかし、『トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである』という言葉もある。実際の社会で役立つ人間になるようにがんばりたい。」
 
 

●現代はアイデンティティ不定の(感)  (997字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 1週 608 
 内容:現代はアイデンティティ不定の時代である。それは第一に、近代以前は大人になることが共同体の一員に属することを意味し、元服のような単純な境目があったが、近代は大人になる過程を学校教育という長いプロセスに変えたからである。また第二に、近代以前は、子供期というものは存在せず、子供はそのまま社会の集団に参加していたが、近代以降は豊かな生産力を背景にした家庭の自立に伴い、子供が社会から隔離されて家庭内で育てられるようになったからである。

 解説:最近の成人式は、式の途中でお喋りをするわ、携帯電話をするわで、主催者側も大変なようです。成人式と言っても、大学生のうちはまだ親のすねをかじっている身ですから、自分が一人の自立した人間として社会に参加していると自覚できるのは、就職をして給料をもらったり、結婚して子供が産まれたりしてからになるのでしょう。しかし、最近は、定職を持たない人もいますし、子供が産まれても育児の自覚のない人も増えてきたようです。

 親や家庭の庇護から離れることはだれでも不安を持つものです。しかし、近代以前は、「よし、今日からは男一匹(もちろん女の人も)、誰にも頼らずに生きていくぞ」という決心をする機会が社会の中にありました。

 アイデンティティ不定の時代にアイデンティティを持って生きていくためにはどうしたらよいか、ということを主題にして、複数の方法を考えていきましょう。第一の方法は自分の心構えなどから、第二の方法は社会や教育のあり方などからと構成に広がりを持たせるように考えてみましょう。

○Family life in the United States  (1679字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 2週 610 
 アメリカ合衆国の家族生活は変化しつつある。25年前、主婦は掃除し、料理し、子どもたちの世話をした。彼女は家庭で最も重要な人物だった。父親は家族のために金を稼いだ。彼は普通、一日中外で働いた。夕方帰宅するころには彼は疲れていた。だから父親は週末以外は子どもたちの面倒をあまり見なかった。父親が家ですることは、もっぱら外の裏庭に限られており、料理と掃除は女性だけの仕事であった。
 しかし、このごろは、多くの女性が家庭外で働く。一日中子どもと一緒に家にいるわけにはいかない。女性もまた夕方帰宅するときには疲れている。だから、それからの時間を夕食を料理するのに費やすことは望まない。家を掃除する時間も衣類を洗濯する時間もない。では、だれか子どもの世話をすればいいのか? だれが家事をするのか?
 それぞれの家族で、これらの問いに対する答えは異なっている。しかしたいていの場合、妻がすべての仕事をするには及ばない。今日では、彼女はさまざまな手助けを得ることができる。ある種の手助けは、託児所だ。母親たちは日中子どもをそこに預けることができる。だから、自由に仕事に行ける。ほとんどの子どもたちはこの託児所で楽しく過ごす。おもちゃやゲームやほかの子どもたちと遊ぶことができるからだ。
 また別の手助けは女性が働く会社からもたらされる。会社は彼女にパートタイムで働くことを許すかもしれない。そのようにして、彼女はある程度金銭を稼ぐことができる。そしてまた、毎日のある程度の時間を子どもたちとともに過ごすこともできる。
 しかし、女性が得ることのできる最も大切な手助けは彼女の夫からのものである。今日では、多くの男性が家事を妻と分担する。これらの家族では、男性が台所を片付け、衣類を洗濯する。ある晩には、妻が夕食を料理するかもしれない。ほかの夜には、夫が料理するだろう。二人とも買い物に行くだろうし、一緒に家を掃除するかもしれない。夫たちはより多くの時間を子どもたちと過ごすようになるかもしれない。ある男性たちは、しばらくの間働くのをやめたり、パートタイムで働いたりするようにさえなるだろう。このような男性に対して新しい言葉がある。「主夫」がそれである。アメリカ合衆国では年々、多くの男性が「主夫」になりつつある。
 家庭におけるこのような変化は、また、家族の変化を意味する。父親たちは家庭にいる時間が長くなるので、子どもたちとより密接になる。子どものことがよりいっそう理解できるようになる。子どもたちも父親をより理解できるようになる。夫と妻もまた彼らの結婚生活の変化を発見するだろう。彼らもまた、お互いをより深く理解するようになるかもしれない。

●私の英語力はほとんど(感)  (334字) よう  mae  02-26 23:30  re  02. 2週 2121 
 「自分らしく生きていきたい」と考えた場合、その方法は、まず「他人の意見に流されず、自分の意見をしっかり持つことだ」などのように考えられそう。また、第二の方法は社会環境がどうあるべきか、ということで考えてみましょう。「異なるものを受け入れることができる社会を作っていくことだ」。言葉の違い、文化の違い、人種の違い、色々な違いがありますが、その違いを楽しむ余裕を持ちたいですね。伝記実例は、人種差別の撤廃に尽力したキング牧師などの例が挙げられそう。

中3 2.2週のヒント ●私の英語力はほとんど(感)  (600字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 2週 1091 
 第一段落は要約のあと、「笑顔を大切にして生きよう」又は、「人にどう思われるかは気にせずに自分らしく生きよう」
 第二段落は、その方法と体験実例。「まず大事なのは、相手に対する思いやりの気持ちを持つことだ。私の母は、いつもにこにこ笑っているので、私も笑顔が自然に身についた。」
 第三段落は、方法2と伝記実例。「第二に、小さいころからできるだけ多くの人とコミュニケーションをとることだ。徳川家康は、小さいころから人質になって苦労をしたので、人情の機微がよくわかったと言われている(伝記)。」
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、ほかの人にどう思われるかを気にするよりも自分らしく生きた方がいいという考えもわかる。しかし、「上手なプレーをしたときよりも、悪いプレーをしたときの態度が大切である」という言葉がある。調子の悪いときに笑顔になれるかどうかがその人の器を決めるだろう。」
 
 

●私の英語力はほとんど(感)  (604字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 2週 611 
 内容:大学生のときの英語の授業で、アメリカ人講師の笑顔に違和感を持った。後年アメリカに行き、彼らの笑顔が意識的なものだと知った。笑顔は、異質な人が共存する社会でのコミュニケーションのルールなのだった。

 解説:笑顔のほかに、挨拶や言葉づかいや服装などもコミュニケーションのルールと言えそうです。中3の人の中には、受験のときの面接の仕方などを練習した人もいると思いますが、知らない人と初めて話すような場では、互いに誤解を招かないようなルールが必要です。面接の会場に、セーターにサンダルばきであくびをしながら入って「ん? なんでも聞いてちょうだい」などと言う人はいません。大事なのは中身ですが、入れ物がそれなりにしっかりしていないと、中身まで見てもらえません。

 意見は、「ルールを大切に」ということで考えることもできますが、反対に「無理をせずありのままの自分で」ということで考えてもいいでしょう。

○There are several places  (2345字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 3週 613 
 世界には、非常に長生きする人がいることで有名な地域がいくつかある。これらの地域はたいてい、近代的都市から遠く離れた山間部にある。医者、科学者、それに公衆保健の専門家たちがその話を解明するために、しばしばこれらの地域に行く。専門家たちは、長く健康的に暮らす秘訣を現代社会にもたらしたいのである。
 ハンザはアジアのヒマラヤ山脈の高地にある。そこには、肉体的に今なお健康である100歳以上の人がたくさんいる。90歳の男性が新しく子どもをもうけ、50歳の女性がまだ子どもを産んでいる。このように健康に過ごせる理由は何だろうか。科学者たちは、ハンザの人々には次の3つの利点があると考えている。(1)肉体労働。これはたいてい畑で行われるか、動物を相手に行われる。(2)空気と水のきれいな健康的な環境。(3)ビタミンが豊富で、かつ、脂肪、糖分、化学物質が少ない質素な食事。
 ロシアのコーカサス山脈に住む人々も長生きで有名である。この地域には非常に長生きをした人の、驚くべき実例がある。ツルバという名の女性はおそらく160歳まで生きたとされ、シラリという名の男性はおそらく168歳まで生きたとされている。彼が死亡したとき彼の妻は120歳だった。概して、そこの人々は長生きするだけではなく健康的に暮らしている。彼らは全くといってよいほど病気をせず、死ぬまで、自分の歯が残っているばかりか、頭には髪が豊かにあり、視力もよい。
 エクアドルのビルカバンバもまた、人々が長生きすることで有名な地域である。この地域もハンザやコーカサスと同様に、都会から遠く離れた高山に位置している。ビルカバンバでもまた、重い病気はほとんど見られない。人々の健康状態がよい1つの理由は、きれいで美しい環境であろう。気候は一年中非常に温暖で、風はいつも同じ方向から吹いてくる。それに、その地域は、花、果物、野菜、野生生物が豊かである。
 いくつかの点で、この3つの地域に住んでいる人の食事は全く異なっている。ハンザの人々は、主に生野菜、果物(特にアプリコット)とチャパティスという一種のパンケーキを食べている。肉は1年に数回しか食べない。コー力サスの食事は、主にミルク、チーズ、野菜、果物、肉からなる。そこではほとんどの人が赤い地ワインを毎日飲む。ビルカバンバの人々は毎週少量の肉を食べるが、食事は主に穀物、トウモロコシ、豆、ジャガイモ、そして果物からなる。
 専門家たちはエクアドルの山々で驚くべき事実を発見した。そこのほとんどの人が、かなりの老人でさえも、コーヒーをたくさん飲み、酒も大量に飲み、そして毎日40本から60本のたばこを吸っているのだ。
 しかし食事は次の2つの一般的な点で似ている。(1)3つの地域に住む人々が食べる果物と野菜は、すべて天然のものである。つまり、化学物質が含まれていない。(2)世界のほかの地域に住む人々よりもカロリーの摂取量が少ない。典型的な北米人は毎日、平均3300カロリーを取るが、これらの山間部に住む典型的な人が取る量は、1700カロリーから2000カロリーの間である。
 3つの地域に住む人々は、カロリー、天然の食べ物、山間部、近代的都市から遠く離れた距離といったこと以上に共通する要素をもっている。それは、田舎に暮らし、たいていは農民であることから、彼らの生活は肉体的に厳しいということである。したがって、彼らは健康クラブに行く必要などない。毎日の仕事の中で十分運動をしているからである。それに加えて、生活は厳しいけれども、都会の人々がもつような心配事を彼らはもたないように思える。彼らの生活は穏やかである。その結果、肉体的運動と心配事がないことが、長く健康的に暮らす2つの最大の秘訣であると信じる専門家もいる。

中3 2.3週のヒント 大相撲をはじめて見にいったとき(感)  (601字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 3週 1106 
 第一段落は、要約と意見。「私も将来、演奏をしたり展示をしたり公園を作ったりするときに、常に観客の参加を考えていきたい(生き方)。」
 第二段落は、方法1と体験実例。「そのためには、第一に、参加による混乱を恐れないことである(方法)。私たちも、修学旅行の計画に企画段階から生徒が参加する形で行った。いろいろな回り道があったが、自分たちで決めたという充実感があった。」
 第三段落は、方法2と伝記実例。「第二には、上に立つ人が何でも自分でやりすぎないことである。明治維新が成功したのは、西郷隆盛や勝海舟という、それまでの権威にとらわれない若い人たちが活躍することができたからである(伝記)。」
 第四段落は、反対理解と名言。「確かに、静かに聴取する演奏会のような場があってもよい。しかし、これからは観客参加を考えていく必要がある。家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人なのである(名言)。」

●大相撲をはじめて見にいったとき(感)  (1702字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  02. 3週 614 
 内容:大相撲を見にいったとき、観客がざわついているのに驚いた。居ずまいをただして見るという態度は芸術がそれ自体自律した普遍的な価値を持つという考え方から生まれた。この考えから、コンサートホールのような演奏者と観客を隔離し、観客相互を隔離する装置が作られた。一九六〇年代になると、この「芸術鑑賞」に対する批判として、観客を演劇の中に巻き込むような実験が行われるようになった。
 解説:クラッシック音楽をコンサートホールなどで聴く場合、観客は静かにしていなければなりません。せんべいをボリボリ食べながらクラッシックを聴くような人はいません。しかし、こういう聴取態度は、歴史的に形成されてきたものです。この「由らしむべし知らしむべからず」に似た権威主義的な芸術観に対する反抗が、観客を演奏の中に巻き込むような新しい芸術運動として生まれてきたのでしょう。
 学校の授業にあてはめると、生徒が静かにかしこまって聴くハイレベルな講義がクラッシックの演奏のようなもので、生徒がどんどん参加できる、楽しいが行き当たりばったりの授業が実験演劇のようなものだと言えるでしょう。
 今は文化活動のさまざまな分野で、観客の参加を促すような試みが行なわれています。博物館の展示も、昔はガラスごしにただ見るだけでしたが、今は観客が手に取ったり動かしたりできるものが増えています。横浜洋光台の子供科学館でも、小学校低学年の子は展示品を見るより、ジャングルジムのような場所で鬼ごっこをするのに一生懸命です。
 この観客参加の姿勢が、マイナスの方向に向かうと、清水市の成人式のように、式の最中に携帯電話をしたり立ち歩いたりする成人が多いことに市長が怒り、翌年の成人式を廃止すると発言するような事態になるのでしょう。いま大学でも授業中の私語が多いために講義が聴けないというところが増えているようです。小中学校でも、先生の話を聴いているのは一番前の席の数人だけというクラスがあります。長文にある18世紀の演奏会のように、式場やクラスが社交の場になっているのです。
 しかし、その一方で、観客参加がまだ不十分な分野が数多くあります。公園などは、もっと市民が自由に参加できるものにしてほしい分野ですが、木に登ってはいけません、犬を放し飼いにしてはいけません、芝生に入ってはいけません、ボール投げをしてはいけません、秘密基地をつくってはいけません、などと観客の参加を拒否するような看板がよく立っています。確かに、公園のあちこちに秘密基地を作られたら困りますが・・・・・・。
 観客参加のマイナス面を反対意見への理解として考えながら、観客参加の方向が時代の流れだということで意見を書いていくといいでしょう。

○Rainforests are perhaps  (2086字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  03. 1週 615 
 熱帯雨林は、地球上で、おそらく最も大切な場所です。それなのになお、私たちは毎年何千平方キロメートルもの熱帯雨林を破壊しています。
 1950年には、熱帯雨林は地球上の土地の15パーセントをおおっていました。私たちはこの半分をすでに破壊してしまいました。2020年になってもまだ熱帯雨林は存在するでしょうか? だれもこの問いに対する答えは知りません。
 熱帯雨林はおよそ5千万人の人々の住む場所です。そこにはまた何百万という種の動物、植物、昆虫も住んでいます。1万平方メートルの熱帯雨林の中に、おそらく8千以上の異なった種の植物が存在します。
 私たちが熱帯雨林を滅ぼすとき、森に住む人々は故郷を失い、何千種もの動物と植物は絶滅します――そして一度絶滅したものを、再び目にすることはできないのです。
 地球上の動植物の種のうち半数以上は熱帯雨林に生息しています。私たちが知っているものは、そのうちのほんのわずかです。私たちがそれらの種についてもっと知りたいと思ったら、急がなくてはなりません。それらは急速に絶滅しつつあるからです。
 熱帯雨林に住む人々は、薬を作るのにそこの植物を使ってきました。今日、世界中で人々は熱帯雨林の植物から作られた薬を使っています。マラリアや白血病の薬は、熱帯雨林の木や植物から作られたのです。多くの新しい薬品が、熱帯雨林で待機しているのです。もし私たちが熱帯雨林を滅ぼしたなら、私たちは決してそれらの薬を見いだすことはできないでしょう。
 熱帯雨林の木々は、私たちが毎日使用するものを作るのに用いられます。例えば、ゴムは、多くのものを作るのに用いられます。多くの森の木々の果実は、食べるのに適しています――森の人々は何千年にもわたってそれらを食べてきました。今日では、世界中で、人々は熱帯雨林の食用植物を食べています。例えば、コーヒーや、紅茶や、オレンジや、米です。トウモロコシは、世界の多くの人々にとって重要な食物ですが、またそれらも別の熱帯雨林の植物なのです。
 1970年、アメリカ合衆国のトウモロコシの半分が、疫病によって枯れてしまいました。科学者たちは熱帯雨林で新しいトウモロコシの種を探し始めました。1987年、メキシコの熱帯雨林で、彼らは他の種より強い新しい種を発見しました。でも、我々はもうほとんどこの新しい品種のトウモロコシを失ってしまいました。なぜなら人間が、熱帯雨林のその部分をすでに切り倒し始めていたからです。
 人々が世界中の多くの熱帯雨林を滅ぼしてしまったので、いったいどれくらいの役に立つ植物がすでに失われてしまったのか、知る由もありません。
 熱帯雨林の木々はまた、地球上の空気を良くしてくれます。木々の葉が二酸化炭素を酸素に変えるからです。私たちは酸素なしでは生きられません。そしてその酸素のいくらかは熱帯雨林で作られるのです。
 熱帯雨林はまた、地球上の天候のいくらかを制御している、という意味でも重要です。もし熱帯雨林がもっと縮小すれば、二酸化炭素が増し、それによって地球は温暖化するでしょう。今日、地球はゆっくりと温暖化しています。そしてある場所によっては、天候の変化によって何百万という人々の生活を困難にしているのです。私たちの手にまだ熱帯雨林があるうちに、地球の天候についてもっと学ぶべきです。

中3年 3.1週 ●今日では、道徳的共同体を(感)  (590字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  03. 1週 1118 
 第一段落は要約と意見(生き方の主題)。「共同体的な生き方をしたい。」(まんまや)
 
 第二段落はその方法と体験実例。「そのためには第一に、法律よりも人間を見ることだ。私もこの前週番のとき、遅刻をした友達がいたが、知り合いなので見逃がしてあげた(いいのか)。」
 
 第三段落は方法2と伝記実例。「また、法律を執行する人の人間性も必要だ。伝記によると、大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)は、子供を争う二人の母親に、「子供を引っ張って自分の元に引き寄せた方が本当の母である」と言い、痛がる子供の声に思わず手を放した母を本当の母と認定した。」
 
 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、法律に基づかない運営は不明朗なものになることが多い。しかし、私たちはもっと共同体的な考え方を再評価すべきだ。家の批評ができるのは、建築家ではなくそこに住む人である(名言)。」
 
 

●今日では、道徳的共同体を(感)  (1278字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  03. 1週 617 
 内容:今日の社会は、法的社会である。しかし、共同体意識は、今も人々の間に生き続けている。孔子は、葉で、自分の父親の犯罪を証言した正直な息子を批判した。法がしだいに 社会的に認知されつつあった春秋時代に、共同体的原理を体現したのが孔子であった。

 解説:法的社会と道徳的共同体社会の対立がテーマになっています。例えば友達が万引をする現場を見たとき、それを先生に告げるというのが法的な発想でしょう。先生に問い詰められてもあくまでも友達をかばうというのが道徳的な発想でしょう(どこが道徳的じゃ)。

 狭い変化のない社会では、道徳的共同体的意識が生きています。小さな村の選挙では、政策で人を選ぶのではなく、「この前、○○をもらったから、今度は、選挙で一票入れといてやろう」というような発想で投票する人がかなりいます。みなさんのクラスでの学級会でも、「あなたの考えのほうがまちがっていると思うけど、友達だからあなたのほうに手を挙げておいたわよ」などという友情がよく見られると思います。日本は、世界の中でも共同体的意識の強い国でしょう。

 これに対して、アメリカは法的意識の強い国です。多種多様な民族が同居している社会では、それぞれの民族によって道徳的習慣が違いますから、おのずからどの民族にも共通に理解できる法的な基準が中心になります。この法的社会が行き過ぎると、「自分の頭が悪いのは親の育て方が悪かったからで、親を裁判で訴える」という子や、「子供が事故を起こして親が弁償したが、その子供を裁判で訴える」という親が現われてきます。本当にあった話だそうです。

 日本では、最近「身内に手心を加える」ことが事件になっています。アメリカの基準から見れば、日本は法的に遅れている社会ということになります。しかし同時に日本人の心の中には、身内をかばうのは当然という感覚があることも事実です。全体のバランスとしては、日本人は法的なほうにもっとウェイトを置くぐらいでちょうどいいのかもしれません。


 

○The little word 'why'  (1079字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  03. 2週 618 
 「なぜ」という短い単語は、私がまだほんの子どもで、あまりじょうずに話すことさえできなかったころから、ずっと私にとってはとても強烈な単語だった。幼い子どもがあらゆることについて質問をするのは、世の中のすべてのことをあまりよく知っているわけではないからである、というのは周知の事実である。これは私に関しても、とてもよく当てはまることであったが、私は成長してからでさえ、あらゆる質問をしたくてうずうずしていた。その質問がたとえ、答えの出るものであろうとなかろうと。このこと自体はそれほどひどいことではなかったと思うが、両親は本当に私の質問の1つ1つに辛抱強く答えようとしてくれた。そしてついに……私は見知らぬ人に質問をせがんで困らせるようにさえなった。そして彼らは概して、「子どもの尽きることのない質問」を歓迎しないのである。このことが彼らを怒らせる場合もあることは認めなければならないが、「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」ということわざがあると自分に言い聞かせて納得しているのである。だが、このことわざは完全に正しいとはいえないだろう。完全に正しいのならば、私は今ごろ大学教授になっているからである。
 私も大人になると、あらゆる人にあらゆる質問ができるわけではなく、答えることのできない「なぜ」も多く存在することに気付いた。このことからその後私が理解したのは、こうした疑問を自分で考え始めることが、自分を助けることにつながるということだった。こうして、人に尋ねてはならない疑問は自分で解決できるという重要な発見をするに至ったのだ。したがって、「なぜ」という短い単語は私に尋ねることばかりでなく考えることも教えてくれた、といえるのである。

★イロリの社交は、家族結合の(感)  (508字) 花ちゃん  suman  03-11 12:37  re  03. 2週 2245 
 第三段落 伝記実例  長文の最後の段落には「茶の湯」のことが書かれています。茶の湯といえば、忘れてはならない名前は千利休ですね。戦国時代から安土桃山時代に活躍した茶人で、わび茶の完成者として知られています。    一期一会という四字熟語は、千利休が弟子に言った言葉だそうです。人と人との出会いは一生に一度限りのものだから、大切にしなければならないといった意味で使われます。が、もともとは茶の湯で、茶会に臨む際に、その機会は二度と繰り返されることのない一生に一度の出会いだと心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くすべきだという心構えを表わしたものだそうです。  火を間にして、火をうまく調節してほどよい加減を計りつつ、人と人との出会いやつながりを利休はとても大切にしたのですね。

●イロリの社交は、家族結合の(感)  (748字) 森川林  nane  03-10 13:00  re  03. 2週 1156 
 第一段落は要約と生き方の主題。「火は人間の心を和ませてくれる。私たちはこのような非合理的な気持ちも大切にして生きていくべきではないか。」

 第二段落はその方法と体験実例。「そのためには第一に、自分の心の声に耳を傾けることである(方法)。私も、ものを買うときは直感で感じのいいものを選ぶことが多い。値段や理屈で選ぶとあとから後悔することがあるが、感覚で選ぶと飽きが来ない。」

 第三段落は、方法2と伝記実例。「また、社会の仕組みも、非合理なものを大事にするような余裕のあるものにするべきだ。この長文にもあるように、ルーズベルトは暖炉の近くでアメリカ国民に語りかけた(伝記)。日本の首相も、囲炉裏を囲んで国民に語りかけると受けるかもしれない(笑)。」

 第四段落は、反対理解と名言の引用。「確かに、熱や光を取るという目的がはっきりしているときに、合理的にその目的にかなった手段を選択することは大切だ。しかし、私たちはもっと非合理的な気持ちも大事にしていくべきではないだろうか。」「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」「非合理的なものの美点を私も発見したい。」


●イロリの社交は、家族結合の(感)  (859字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  03. 2週 620 
 内容:イロリの社交は、家族結合の社交であった。ひとつの火を通じて心がかよいあう。そういう不思議な力を火はもっていた。火が人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直観的に知っている。火の共有による親密な人間関係に関して、日本文化はいろんな工夫を凝らしてきた。人間は実用性を超えて、火を人間関係調整の手段としても展開させてきたのであつた。

 解説:冬になると、家族みんなで鍋をつついて食事をとるという家庭も多いでしょう。夏になると、河原でバーベキューパーティーをするというところもあるでしょう。火を囲んで話をすると、お互いにぐっと近しい関係になった気がします。文化祭のあと、校庭で火を囲んだ体験を思い出す人もいるかもしれません。水くさい関係というのは、火を囲んだ関係の反対です。(ホントかいな)

 人間は「1+1=2」という合理的な関係だけで生きているわけではありません。食事もただ食べればいいというだけで、家族が一人一人ばらばらに、自分の好きなときにレンジでチンという食べ方をしていたのでは味気ないでしょう。やはり、みんなで食卓を囲んで食べるところに味わいがあります。

 火を囲むという、一見合理的には説明のつかない人間の心を大切にするような生き方をしていきたい、というかたちで意見を考えていくといいでしょう。

  (1787字) 森川林  nane  03-03 16:35  re  03. 3週 621 
 「こんにちは」「お元気ですか」「おはようございます」「もう食事は済ませましたか」「どちらにお出かけですか」 これらはお互いに会うときに人々がいろいろな言語で交わすあいさつである。ところであいさつとは何だろうか。
 あいさつとは、ある人に友好的に振舞う方法である。礼儀正しく振舞う方法でもある。また会話を始める方法ともいえる。多くの言語では質問があいさつに使われる。例えば「どちらにお出かけですか」とか「調子はどうですか」というように。しかしこれらのような質問は本当の質問ではない。それらは完璧な答えを要求しないし、本当の答えさえも要求しない。例えば英語では最もよくあるあいさつは「お元気ですか」という、人の健康状態についての質問である。しかし私たちは相手が答えるときに健康状態のことを言うとは思っていない。相手が頭痛や腰痛だったとしてもそのことを言うとは思っていない。人々はこれらの質問に「元気です、ありがとう」や「だいじょうぶです、どうも」という決まった表現で答える。同様に「どちらへお出かけですか」とお互いにあいさつする国では「ただ散歩をしているだけです」というような簡単な返事だけで十分である。実際にどこへ行くかを述べる必要はない。
 ほとんどの言語では、あいさつのあとたいてい「簡単なおしゃべり」が続く。簡単なおしゃべりとは会話を始めるときに交わす、あまり重要でない事柄のことである。英語を話す国では人々は「いい天気ですね」や「雨が降りそうですね」といった、天気についての簡単なおしゃべりをよくする。しかし簡単なおしゃべりにはどこか特別なものがある。それは両者が同じ意見をもつ事柄についてでなければならないということである。簡単なおしゃべりの目的は、人々にあることについて同じ意見をもつようにさせることである。こうすれば人に会うことがより簡単で、気楽になれるのである。人はたいてい天気のことでは意見が合うので、天気は簡単なおしゃべりには無難な話題である。しかし、宗教や政治については意見が合わないことがよくあるので、これらは英語で行う簡単なおしゃべりには適さない話題である。簡単なおしゃべりの話題は会話がどこで行われているかによっても決まる。サッカーの試合では「すごい試合ですね」というような、見ている試合のことについて簡単なおしゃべりをする。バス停では「最近バスがとても遅いですね」というような、バスの便について意見を述べるようにだ。
 あいさつや簡単なおしゃべりはどの言語でも会話の重要な部分である。しかし人がお互いにあいさつする方法や話題にする内容は言語によって異なる場合がある。このことからわかるのは、私たちが言語を学ぶ際には単にその言語の語彙や文法を知るだけでは不十分だということである。私たちはその言語を話す人々の社会における振舞い方も学ばなければならない。

●今、日本の都会では、路上で(感)  (264字) たけこ  takeko  03-25 14:36  re  03. 3週 2170 
「伝記実例」としては、人と人とのコミュニケーションを中心に考えて、サリバン先生のおかげでコミュニケーション方法を学び、三重苦の障がいをのりこえて世界に平和を訴えられるまでになったヘレン・ケラーや、患者さんとコミュニケーションすることですばらしい看護婦となったナイチンゲール、貧しい人々の心をやすらげるためにつくしたマザー・テレサなどがあげられそうです。
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