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課題集 ベニバナ3 の山

★わたしは中学(一中)から/ 池新
 わたしは中学(一中)から高等学校(三高)へかけて京都で育ったので、その頃の私はまことに京都的な少年であったらしい。まあ言ってみれば物腰の柔らかい少年として日曜日には嵐山などを歩きまわっていたらしく、現に大沢池あたりで友だちと香りのよい菫を摘んできた記憶がいかにもそれらしく残っている。
 しかしなんといってもいちばんなまなましく残っているのは、三高の入試で、もちろん旧制の、しかも全国に七つしかなかった、いわゆるナンバースクール時代のことだから、競争はそれなりに相当はげしかった。
 私はどうにか第一志望の京都にもぐり込むことができたが、発表された時の有頂天なよろこびは一生涯忘れることができない。これはひとつには当時高校の関門さえ通れば、大学へはほとんど無試験で入学できたのだから、高校の入学ということは当時の青年にとって、いわば一生に一度の難関だったためでもあろう。しかしそれと匹敵するくらいに思い出されるのがあの大文字の火なのだから、私の記憶の中にともっているあの火の照明度はかなり強いものだといわなくてはならない。
 もっともこのことは今の学生にはたぶんあてはまらないことだろう。今のように市内の随所に鉄骨がそびえているのでは、大文字の火も繁華街のビルのすきまからのぞく明月かなにかのようにさぞみすぼらしいものになり下がっているだろうし、赤や青に明滅しているネオンがくれに眺めたのではこれも不景気な、色あせた存在だろうとなんだか気の毒になるが、私の学生の頃はそんなものではなかった。
 その頃の京都全市の人々がかたずをのんで今か今かと待ちかまえた大文字山は、どこからでもなんのさえぎるものもなく、東方の空を黒々と大きく限って横たわっていた。街の灯もさすが電燈ではあったが、とっぷり暮れた夜の都には、まあどちらかといえば、点々としたさみしいものだった。そこへ真っ赤な炎が急に一つまた二つと燃えはじめ、またたく間に炎炎と一大文字が夜空の一角を領してしまう。
 近所の屋上や路ばたの涼み台などあちこちから感嘆の声が聞こえ∵る。それはたぶん京都の市民たちがいっせいに挙げる歓声の一続きみたいなものであったろう。もっとも、何十年と大文字を見ていない私が、せんえつにこんなことをいってはどうかと思うが、近ごろの大文字がネオンに圧倒されたり、ビルの間にはさまって見えたとしても、そんなことであの火をつまらぬものになり下がったなどと、けいべつしたくはない。
 あの文字どおりに燃えさかる炎にはどんなみごとなネオンのまばゆい動きにも代えがたい情熱がかくされている。その情熱こそは当時の青少年を学問へかりたてたその同じ情熱だった。またあの炎炎としてともりかつ消えていく自然のままの光の色あいの中にはなにかしら今日の蛍光燈などには求められない無邪気純真な真剣さが宿っていた。あの真剣さこそが当時の入試受験生をひたむきに勉強させた同じ真剣さではなかったか。
 私は老人の口ぐせをまねて自分の若い頃のよさを手本にして、いまどきの若い者の功利主義やふまじめをお説教しようなどとはけっして思わない。ただ、私の時代のあの大文字が今もなおあんなにも情熱をこめて、真剣に何十年前と同じ姿で燃えているであろうなら、私の愛する青年たちの胸にもまたいたずらにビルにあこがれたり、ネオンにだまされたりしないで、その昔と同じような情熱で学問を愛し、真剣に入試とたたかう心がまえだけは生かし続けてほしいナアと祈るばかりである。

(高木市之助「詩酒おぼえ書き」)