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課題集 ユーカリ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎坂 / 池新
○自信と自慢、点数をつけることはよいか / 池新
★また、虫のことだが / 池新
 また、虫のことだが、蚤の曲芸という見世物、あの大夫だゆうの仕込み方を、昔何かでよんだことがある。蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。彼は得意の足で跳ね回る。だが、周囲は鉄壁だ。さんざん跳ねた末、しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。試しにまた一つ跳ねてみる。やっぱり無駄だ、彼は諦めておとなしくなる。すると、仕込み手である人間が、外から彼を脅かす。本能的に彼は跳ねる。駄目だ、逃げられない。人間がまた脅かす、跳ねる、無駄だという蚤の自覚。この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。そこで初めて芸を習い、舞台に立たされる。
 このことを、わたしは随分無慚むざんな話と思ったので覚えている。持って生まれたものを手軽に変えてしまう。蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慚な理不尽さは少なかろう、と思った。
「実際ひどい話だ。どうしても駄目か、判った、という時の蚤の絶望感というものは――想像がつくというかつかぬというか、一寸ちょっと同情に値する。しかし、頭かくして尻かくさずという、元来どうも彼は馬鹿者らしいから……それにしても、もう一度跳ねてみたらどうかね、たった一度でいい」
 東京から見舞いがてら遊びに来た若い友人にそんなことを私は言った。彼は笑いながら、
「蚤にとっちゃあ、もうこれでギリギリ絶対というところなんでしょう。最後のもう一度を、彼としたらやってしまったんでしょう」
「そうかなア。残念だね」わたしは残念という顔をした。友人は笑って、こんなことを言い出した。
「丁度それと反対の話が、せんだっての何かに出ていましたよ。何とかばち、何とか言う蜂なんですが、そいつのはねは、体重に比較し∵て、飛ぶ力を持っていないんだそうです。まア、翅の面積とか、空気をつ振動数とか、いろんなデータを調べた挙げ句、力学的に彼の飛行は不可能なんだそうです。それが、実際には平気で飛んでいる。つまり、彼は、自分が飛べないことを知らないから飛べる、と、こういうんです」
「なるほど、そういうことはありそうだ。――いや、そいつはいい」私は、この場合力学なるものの自己過信ということをちらと頭に浮かべもしたが、何よりも不可能を識らぬから可能というそのことだけで十分面白く、蚤の話による物憂さから幾分立ち直ることができたのだった。

(尾崎一雄『虫のいろいろ』)