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課題集 ユーカリ3 の山

○自由な題名 / 池新
○風 / 池新

★モウシが公然と / 池新
 モウシ(「もしもし」と同じ呼びかけの言葉)が公然と、誰に聴かれてもよい言葉の前触れであるのに対して、あまり聴かせたくないナイショ話のことを「こそこそ話」というのはどういうわけであろうか。それはわかりきっている。こそこそと話をするからだ、という人があるかもしれませんが、その低い話し声を、どうしてまたコソコソと形容しはじめたかが、実はやっぱり不審なのであります。有名な芭蕉おうの俳諧の中に、(こそこそと草鞋を作る月夜ざし)という句もありますが、これはわらなどの軽くすれる音から出たもので、ちょうど落ち葉の中を歩く音を、がさがさと形容するのも似ております。人が耳のそばで何かいう時には、そんな声は出さないと思います。多分はいま一つ、別に此方こちらには理由があったのを、後にだんだんと融合してしまって、コッソリというような副詞も生まれ、またはコソコソ泥棒、略してコソドロなどという新語もできたものでしょう。こんなつまらぬたった一つの言葉でも、気をつけて見ると、やはり面白い歴史が付いています。古い文学では私語はササメゴト、またはササヤキといっております。地方にはそれがまだ残っていて、たとえば九州の北部は今でも一般にソソメキバナシといい、ソソメクというのがその動詞であります。中部地方でも福井市の付近ではソソヤク、丹波でももとはソソカウといっておりました。私の想像では、サ行すなわちSの子音が、どんなに低くても耳につきやすいところから、人がこういう言葉を作り出したので、ソシルという動詞なども、やはり最初はS音を気にする者が言いはじめたものと思います。コソコソ話の方も同じ系統と言うことはできますが、これにはなお一つ、新しい心持ちが加わっているようです。すなわち単なるサとかソとかの音が耳立つという以上に、特にコソという「てにをは」が盛んに使われる物言いという意味で、どうも私にはご婦人の責任のように感じられます。これまでの国文法の先生たちは、コソもゾも同じ価値、ただ偶然の使いわけのように教えていますけれども、この二つのものはだいぶ感じがちがい、また口にする人の種類もちがいます。中古に女流文学が流行してから、コソの用法が急に発達した如く、今でも気をつけていると、男の人はあまり使わず、また使うとややめめしくもきこえます。これに反して女性は小さなことにも力を入れて、それこそ、私こそ等を連発しようとします。しかも遠慮がちに小さな声で、人の∵顔を遠目に見ながら、何かというとこの「こそ」を使うのですから、つまりコソコソ話の専門家ということになるので、少なくともこの一つの戯語ぎごを考案したのは、それを皮肉った男たちの所行にちがいありません。地方の類例を比べてみますと、滋賀県の東部では私語をモノクソといい、徳島県の北部ではモノコソイウというのがささやくことであります。モノすなわち言語ですから、その下に付けたコソは「ひそかに」の意味でなく、むしろそのコソをよく聴く時の感じに近づけんがために、わざとコソコソと二つ重ねたのかもしれません。こういういたずらは男はなかなか上手です。たとえば山形県の一部では、女が告げ口をするのを「梨売る」という隠語があります。あの地方の若い女たちは、何か力を入れてものを言うときに、句の終わりにナシという語を添えます。それを知っている人なら、この複合動詞はよくわかりかつ面白いのです。コソコソの意味もそれと同様に、いやコソばかりを耳立たせる話ということで、それも今日となっては過去の遺物であります。

(柳田国男「毎日の言葉」)