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課題集 ユーカリ2 の山

★本には実に様々なものが(感)/ 池新
 【1】本には実に様々なものがある。強烈な著者も揃っている。正反対の主張のものも店先では並んでいる。私は大学の授業では、学生に自主的なプレゼンテーションを一、二分でしてもらうことにしている。【2】そのときに、毎回同じ著者の作品を発表する者がでてきてしまう。これは非常に狭いプレゼンテーションだ。そうした学生の特徴は、妙に自分の(実は著者の)意見に確信を抱いてしまっているということだ。【3】充分な教養もできていないのに、数冊読んだだけで絶対の自信をもってしまうのは、いかにも危険だ。
 多くの本を読めば、一つひとつは相対化される。落ち着いていろいろな思想や主張を吟味することができるようになる。【4】好きな著者の本を読むだけでは、こうした「ためらう」心の技は、鍛えられない。すぐに著者に同一化して舞い上がるというのでは、自己形成とは言えない。
 自己形成は、進みつつも、ためらうことをプロセスとして含んでいるはずだ。【5】人間は努力する限り迷うものだと言ったのは、ゲーテだ。冷静な客観的要約力をもって、いろいろな主張の本を読むことによって、世界観は練られていく。もちろん青年期には、何かに傾倒するということがあっても自然ではある。【6】しかし、その傾倒が一つに限定されるのではなく、傾倒すればするほど外の世界に幅広く開かれていくというようであってほしい。一つの本を読めば済むというのではなくその本を読むと次々にいろいろな本が読みたくなる。【7】そうした読書のスタイルが、自己をつくる読書には適している。
 ためらうというと、否定的な響きを持っているかもしれないが、ためらうことは力を溜めることでもある。一つに決めてしまえば気持ちは楽になるが、思考が停止してしまいがちだ。【8】思考を停止させずに吟味し続けるプロセスで、力を溜めることができる。本を読んでいると、著者に直接反論できるわけではない。少し自分とは意見や感性が違うなと思うことももちろんある。しかし、直接反論はできないので、その気持ちを心に溜めていく。【9】はっきりとは言葉にして反論できなくとも、その溜めたものは、やがて力になっていく。そして、別の著者の本を読んだときに、あのときに感じた∵違和感はこれだったのかと気づくこともある。【0】自分自身でその違和感を持った本について人に話しているときに、違和感の正体に自分で気づくということもある。読書は、完全に自分と一致した人の意見を聞くためのものというよりは、「摩擦を力に変える」ことを練習するための行為だ。自分とは違う意見も溜めておくことができる。そうした容量の大きさが身についてくると、懐が深くパワーのある知性が鍛えられていく。
 ためらうことや溜めることを、効率が悪いこととして排除しようとする風潮が強まっている気がする。十代の後半などは、このためらい自体を雰囲気として味わうのがふさわしい時期であったのだが、現在は効率の良さを求めるあまり、ためらう=溜めることの意味が忘れられかけようとしている。本を読むという行為は、この「ためらう=溜める」という心の動きを技として身につけるためには、最良の方法だと思う。

(齋藤 孝「読書力」より。一部省略がある。)