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課題集 ユーカリ2 の山

★最近、よく絵本を(感)/ 池新
 【1】最近、よく絵本を買う。自分で読みたいからだ。生きることや失うこと、喜びや悲しみ、涙や笑いについて、簡潔な言葉と象徴的な絵で語りかけてくる絵本の深い味わいを、数年前にふとしたことから再発見した。【2】絵本を開くと、都会を離れて山間の林を散策する時に似て、忘れていた大事な感覚が甦ってくる。
 そんな日々のなかで、ふと思い出したのは、もう四半世紀も前に読んだ井上靖氏のエッセイ集『わが一期一会』のなかの一文だった。【3】「詩のノートから」という章のなかに、「あじさい」という短文がある。幼い頃に心に刻まれた事象に潜む意味を、人生経験を経てから咀しゃくしなおし言語化している文章だ。
 井上氏は幼い頃、なぜかあじさいの花に好きでないものを感じていた。その理由を、今ではこう表現できる。
 【4】「雨をしっとりと吸って重たげでもあり、多少憂うつげでもあり、こうした時期(梅雨期)に咲かねばならぬ花としての諦めも持っている。」
 大事なことは、幼い者の感覚は、その時は言語化できなくても、非常に確かだという点だ。
 【5】井上氏は、こう断じる。
 「幼い者の世界には、大人の世界よりも、もっと重大な、しかも本質的意味を具えた事件がたくさん起こっている。」
 【6】確かに、「幼い頃、外界の事象から心に受けとめているものは、そして心に深く刻み込まれているものは、その事象の本質に繋がるなかなか大切なもの」なのに、大人になるとその感性は失われてしまうのだ。
 【7】それゆえに大人の目からは些細なことに見えても、幼い者にとっては容易ならぬ事件であることが少なくない。そういう事件は心に深く刻みこまれ、情動反応の原型となる。
 【8】井上少年は庭の隅を流れる小川で顔を洗っている時、石けんを流してしまったことを鮮やかに記憶している。それだけのことを生涯忘れられないのは、決して取り戻すことのできない喪失感のはじめての体験だったからだ。∵
 【9】田んぼでみんなで凧揚げをした時、自分の凧だけがすぐに墜落してどうしても揚がらなかったことで受けた打撃。それは人生で最初に味わった絶望感であり孤独な思いだった。井上氏は大人になってどんなに仕事がうまくゆかなくても、あの時ほどの絶望感は味わっていないという。
 【0】よくわかる。私もそういう「はじまりの記憶」がいくつも鮮明に浮かんでくる。
 田舎町では自動車が珍しかった終戦直後のことだ。小学校五年だった私は自転車で四ツ角を突っ切ろうとした時、横から走ってきた車にはねられた。幸い足に打撲傷を負っただけだったが、自転車の前輪はくの字形にひん曲がっていた。
 私は自転車を家の裏手に隠して、家族には事故のことを告げずに寝てしまった。親に叱られるのを恐れたのではない。頭の中が混乱し収拾がつかなかったのだ。そのことを、今の私は、「事故の不条理さにたじろいだ最初の体験」と表現することができる。
 井上氏は、幼い者は鋭い感受性で物事の最も本質的な部分を感じ取っているので、幼児期の体験に表現を加えると、みな詩になると語る。
 そうなのだ。感性豊かな作家や画家によるすぐれた絵本は、詩と同じく物事の本質的で大切な部分を表現しているのだ。

(柳田邦男「言葉の力、生きる力」より)