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課題集 ユーカリ の山

★外国人に日本語を(感)/ 池新
 【1】外国人に日本語を教えているうちに一つの事実に気づきました。一般に欧米人は、質問に対して「いいえ」と言うときに、教師がビクッとするほど強い調子で答えることが多いのです。【2】もしや、質問しそこなったのではないかと、こちらが不安になるほどに――。しかし、よく見ていると、「はい」も「いいえ」も、同じように強くはっきりと答えようとしているだけです。わたくしの耳は、その「いいえ」を強すぎると感じたのでした。
 【3】それは、わたくしたちが、日ごろ「いいえ」をやや控え目に言う習慣が身についているためだと思います。肯定の場合は調子よく「はい!」という人が、否定になると、内容にもよりますが、無意識に声を落としてしまいます。
 【4】いつか米国人に英語を習っていた日本人が、弱々しく「ノー」と答えて、もっとハッキリ態度をあらわせと注意されていたのを思い出します。人格をもった一個の人間なら、責任ある態度をとれ、とその英語教師は言うのです。【5】彼に言わせれば、事実そうでないことをあいまいにノーと言うのは、質問者に対して失礼ではないかと。
 この違いは、否定している対象の違いにもとづくようです。英語の場合には、おたがいが客観的に「事実」を見て、その「事実」について語ります。【6】それが、イエスとノーに要約されているといえましょう。たとえば、「見ませんでしたか。」というような否定の質問には、日本語と英語とで答えが逆になることが一般に知られています。見なかった場合に、日本語では「はい」と言い、英語では「ノー」と答えます。【7】つまり日本語の場合、答え手は、まずその質問を受けた「聞き手」として、その質問文の「話し手」の視線に合わせて自分の行為を見、質問文と自分の行為との間に一致点を見いだして、「はい」と答えるわけです。【8】逆に、事実を見た場合には「いいえ」と答えることになります。すなわち、日本語の否定は「質問」の文型あるいは質問者の意向に向けられていますが、英語の否定は質問を受ける側の、現実の行為の有無に向けられています。【9】ですから英語では「ノー」とはっきり言うことができ、むしろ、事実を事実としてはっきりと否定することが、相手の尊重にもつながるわけです。
 しかし、日本語の返答では、否定が「質問」の方に向けられているために、微妙な心理がからんできます。【0】きっぱり否定したりすると、「いいえ」が事実の否定をとびこえて、相手の考え方や感じ∵方の批判にまで及ばないとも限りません。そこで「いいえ」は自然に控え目になります。その控え目な態度によって、否定が事実だけに限定されることを、無意識のうちに示唆しているといえましょう。こうして声をおさえることが、客観性にふみとどまる一つの手立てともなるわけです。
 それさえも不安になると、「いいえ」のかわりに小声で「はい」という人さえあります。これをウソつきだときめつけることも一概にはできません。こういう場合は、声の調子とか表情とかを総合して判断することが必要です。それはもう意味をもつ言葉というよりも、困惑をあらわすため息のようなものとして受けとめるべきものかもしれません。日本人は、いつしか読心術のようなものを身につけ、ことばのみせかけにまどわされることはありませんが、外国人にとってはかいしがたいことが少なくないようです。

 (山下秀雄の文章による。京都府)